東京都内でロシア語講師や通訳・翻訳などのほか、YouTuberとしても活動されている福田知代さんの『ロシアに関係するお仕事紹介』第6回です。
前回までの連載記事はこちらから
(以下、福田さんのコラムです)
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「日ロドライブ」の読者のみなさん、こんにちは。福田知代です。
連載も、今回で六回目となりました。
このシリーズでは、ロシア語を活かすことのできるお仕事のうち、わたしがフリーランスとしてこれまで経験してきた仕事や立場について、順番にお話ししています。
これまでに、①翻訳のお仕事、②映像翻訳のお仕事、③ロシア語を教えるお仕事、④高校でのさまざまな国際交流プログラム、⑤辞書編纂のお仕事 についてお話ししてきました。
ご興味のある方は、どうぞそちらもご覧になってみてくださいね。
通訳の仕事について
さて今回は、通訳のお仕事についてお話ししてみたいと思います。
ですが、その前に、ひとつお断りを。
わたしが話す様子をご存知の方ならなんとなくご想像がつくかもしれませんが、わたしは普段から、しゃべるのがゆっくりです。
翻訳をしたり、こういった連載コラムを書いたりする上では特に影響はありませんが、あまりチャキチャキと話せるタイプではないので、通訳よりも翻訳の方が自分に向いていると思っています。
そのため、ロシア語通訳協会や通訳派遣会社などには登録していません。
わたしが通訳のお仕事をするのは、基本的に、お知り合いにご依頼されたときだけです。
こんなことを念頭に置いていただいて、通訳のお仕事のほんの一部を覗いていってください。
わたしが初めて通訳アシスタントを経験したのは、大学院の修士課程を修了した年の秋に、修士課程時代の友人に誘われて、青年劇場が招へいして実施した、ロシアのオムスク第五劇場の来日公演のお手伝いをしたときでした。
チェーホフの短編作品をつなぎ合わせた、『33回の失神』という作品が上演されたのですが、オムスク第五劇場が来日してから本番を終えて帰国するまでの間(当時わたしは、高校の講師やロシア語教室、大学でのお仕事もありましたので)、参加できる時間を見つけては稽古場にお邪魔し、簡単な通訳をしたり、俳優たちや音響、照明のスタッフと談笑したり(一緒に観光もしたような気がしますが、記憶があいまいです)などして、非常に充実した時間を過ごしました。
本番の公演も、客席の後ろから見せてもらいました。
オフの時間はふざけ合ったりしていた俳優やスタッフたちが、本番では、それまでとは打って変わって「仕事人」の顔になって、本当に素晴らしい舞台芸術を見せてくれました。
文字通り、俳優やスタッフたちの素顔や「舞台裏」を見ていたからこそ、スタニスラフスキーの言う「役を生きる芸術」が舞台上で開花するさまを、はっきりと見ることができたのだと思います。
当時一緒に過ごした俳優たちとは、今でもSNSでつながっています。
ちなみに、わたしの下の名前は「ともよ」と読むのですが、ロシア人と一緒にいるときは、「タマーラ」と呼んでもらうことにしています。
日本語を知っているロシア人は別として、たいてい、ロシア人にとっては「ともよ」と発音することが少し難しく(「タマヨー」になってしまいます)、発音できたとしても、少し経つと「名前なんだっけ」と忘れてしまうことがよくあります。
そこで、なにかロシア人にとって発音しやすく、覚えてもらいやすい名前はないかなと思って、オムスク第五劇場の俳優たちに考えてもらい、「タマーラ」と命名してもらいました。
「タマヨー」と音が近く、文学作品などで登場する「タマーラ」から、この名前には知的ですてきな女性のイメージがあるのだそうです。
それ以来、ロシア人にはタマーラと呼んでもらっています。
現在、ご依頼を受けて通訳の仕事をお受けしているのは、大きく二つです。
一つは、システマの創始者が来日した際に、特別クラスの通訳をしたり、講演会やインタビューの通訳をしたり、お食事の席でご一緒したり、また、創始者と一緒にご家族も来日するので、ご家族のアテンドで一緒にショッピングをしたりなどのお仕事です。
もう一つは、日本のピアニストが、ロシアのピアニストのレッスンを受けられる際の通訳です。
いずれも、通訳協会や通訳派遣会社からの紹介ではなく、お知り合いから直接お声をかけていただいています。
ロシア武術・システマ関係の通訳について
システマの通訳は、北川貴英さんが主宰するシステマ東京が、システマの創始者ミハイル・リャブコ氏を日本にお呼びしてセミナーを開く際に、だいたい年に一度くらいのペースでお声かけいただいています。(と書いていたら、今ちょうど、北川さんから翻訳の依頼が来ました!)
創始者のミハイルさんご一行は、東京と大阪などに一週間ずつ滞在して、セミナーや特別クラスでシステマを教えるのですが、わたしはそのうち、東京滞在中の通訳をつとめます。
だいたい二日間かけて行われるセミナー本番の通訳は、連載第一回「翻訳のお仕事」で登場した、わたしが翻訳のお仕事を始めるきっかけとなった一つ上のすごい先輩が担当します。
先輩の通訳は、話し方に非常に信頼感があり、通訳がよどみないのはもちろんのこと、日本語が極めて明快で、セミナーの参加者が「今のは、どういう意味だろう?」と理解が止まってしまうような場面が一切ありません。
毎年先輩の完璧な通訳を見るたびに、先輩の背中がずっと遠く、いつになっても追いつくことはできないなと感じます。
わたしは、セミナー以外のスケジュール、たとえば、セミナーの前後の日程に開催される特別クラスや、そのほかの通訳が必要な場面にご一緒について回ります。
ミハイルさんの講演会の通訳をしたこともありました。
「恐怖からのサバイブ」というテーマの講演だったのですが、お話を聞いていた方々は、わたしの通訳を聞いて和んでしまったそうです(笑)
ミハイルさんはロシア陸軍の特殊部隊の大佐であった方ですが、もともと、ミハイルさんもほんわかした方で、なんだか波長が合うので、特別クラス中やご一緒に移動しているときなど、そばにくっついてお話ししたりします。
「タマーラ、コーヒー飲みなさい」と言って、揺れている移動のタクシーの中でわたしの口にホットコーヒーを持ってきて、コーヒーを飲ませようとしてくれたこともありました。
服がコーヒーまみれになるのではないか、その前に口をやけどしてしまうのではないかと思いましたが、これも、親しくなるとお節介なくらいに優しいロシア人の国民性によるもの。「そうだ、いまロシア人と一緒にいるんだ」と実感させられます。
また、ミハイルさんの通訳のときに、「辞書編纂のお仕事」で少し登場した、一番弟子の卒業生を通訳アシスタントとして連れて行ったことがありました。
セミナーや特別クラス終了後にミハイルさんの前に参加者の方々の長い列ができるのですが、その際の通訳をしてもらったり、力仕事をしてもらったりするために、通訳アシスタントとして使ってもらおうと思ったのです。
一番弟子は当時、高校を卒業して、大学一年生になったばかりでした。
そんな彼に、わたしの先輩が通訳をしている様子を見せて、目標にさせようという考えと、将来、一番弟子が通訳になりたいと希望した場合、実務経験が問われることになる。そのために、早いうちにアシスタントとしてデビューさせたいという考えがありました。
一番弟子はその後、ロシアの元メダリストのフィギュアスケーターが日本公演を行う際の専属通訳などを経験し、今年の春から企業に勤めています。 近いうちに、ロシアの駐在員になることでしょう。
卒業生たちが社会に出ていろいろなところで活躍し始めています。
育てた苗があちこちにもらわれていって、そこで根を下ろし、いずれ今度は自分たちの周りにまた新たな種を蒔く。そういった循環を作れていることを、誇りに思っています。
ピアニストの通訳について
話がそれてしまいました。
通訳のお話に戻りまして、もう一つのピアニストのレッスンも、日本のピアニストからご依頼を受けて、だいたい年に一度のペースで通訳をしています。
レッスンの様子をそばで拝見していて、いつも非日常的な感覚になることができます。
わたしは音楽の知識に乏しいのですが、プロ同士の間で通訳をする際、思っているほど、専門知識はあまり必要にはならなかったりします。
専門家同士、たとえばお医者さん同士や建築家同士、同じ専門分野の教育を受けていれば、母語が違っても、お互いに何の話をしているか、なんとなく分かったりするようなことはあると思います。
音楽用語に関して言えば、世界共通で主にイタリア語が使われていることが多いため、わたしが「なんのことだろうな?」と考えている間に、ピアニスト同士では話が通じ合っていることがほとんどです。
というよりも、プロ同士のレッスンでは、音楽用語が出てくることはほとんどありません。
レッスンでは、その作品をめぐる解釈、どのような表現をするべきかといった会話が繰り広げられているのです。
その作品で描かれている情景や内面の変化など、どちらかというと、文学的・心理的な表現の会話がなされています。
例を挙げてみると、「だれかがドアをノックしてきているような音」「二羽の鳥が空高く飛んで行って、雲の切れ目に消えていくようなイメージ」「ロシアの村のお祭りのようなイメージ」「なにか原始的な感じ」など、ロシアのピアニストの解釈を聞き、まずはわたしが「ほう!」と唸ってしまいそうになりますが、自分の中できちんと腑に落ちた状態で通訳すると、日本のピアニストも頷きながら聞いてくださり、すぐさま修正を加えて演奏なさって、ロシアのピアニストがダイナミックに手を動かしながら「そう、そう!」とおっしゃる……というのを繰り返しながら、レッスンは進んでいきます。
芸術を突き詰めるお二人の間で、多少なりともお役に立てている実感があり、いつも、今年もこの場にいられてよかったな、と思います。
ロシアのピアニストは、「タマーラとの仕事はとても心地よい」と言ってくださいます。
大変うれしい褒め言葉です。
「通訳」になるための方法
最後に、通訳になるための方法を書いてみます。
わたし自身は通訳協会や通訳派遣会社には登録していませんが、基本的には、通訳として継続的にお仕事をする場合は、通訳協会や通訳派遣会社に登録し、お声をかけていただくのを待つことになるでしょう。
通訳案内士という国家資格もありますので、資格取得のための勉強をするのも、プラスに働くはずです。
登録に際しては、実務経験や専門分野が問われることもありますので、やはり、どこか早い段階で実務経験を踏む必要があります。
ただ、ずっと年上の通訳のお姉さまから聞いたお話では、トップの通訳者たちに依頼が集中し、若手にはほとんどお仕事が回ってこないのが実情で、そのため、若手が育たないという悪循環も生まれているそうです。
通訳のお仕事一本で生きていくのはなかなか厳しいですが、ロシアと取引のある企業に就職して、業務の一部として通訳を務めることもできます。
いずれにしても、日々の勉強は必要不可欠です。
あとは、どんなお仕事にも言えることですが、つながりと人柄、そして、いただいたチャンスをしっかりとつかむことができるか……ですね。
以上、今回は通訳のお仕事について書いてみました。
次回もどうぞお楽しみに。
(文/福田知代/ロシア語講師、翻訳家、通訳、YouTuber)
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