東京都内でロシア語講師や通訳・翻訳などのほか、YouTuberとしても活動されている福田知代さんの『ロシアに関係するお仕事紹介』第4回です。
前回までの連載記事はこちらから
(以下、福田さんのコラムです)
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「日ロドライブ」の読者のみなさん、こんにちは。福田知代です。
連載も、今回で四回目です。
このシリーズでは、ロシア語を活かすことのできるお仕事のうち、わたしがフリーランスとしてこれまで経験してきた仕事や立場について、順番にお話ししています。
これまでに、第1回翻訳のお仕事、第2回は映像翻訳のお仕事、第3回はロシア語を教えるお仕事についてお話してきました。
ご興味のある方は、どうぞそちらもご覧になってみてくださいね。
さて、前回のコラムで予告しましたとおり、今回は、ロシア語を活かすことのできるお仕事シリーズの中休みとして、これまで学校で実施してきた「国際交流プログラム」について書いてみたいと思います。
わたしは、ロシア語を使うお仕事をいろいろとしていますが、わたしの「軸」は高校のロシア語講師です。
立場上、関係機関からお話を頂戴しやすく、これまでにさまざまな国際交流プログラムにたくさんの生徒たちを参加させることができました。
もちろん、機会は何もせずに降ってくるものではありません。
わたしのことを少しご存知の方でしたらなんとなくご想像がつくかもしれませんが、果報を寝て待つタイプとは少し違います。
○ 〈ロシア文化に直接触れる機会〉
2010 年に都立高校でロシア語の非常勤講師となってすぐに、高校生が自分たちの意思でロシア語を履修し、週 1 回の授業を楽しみにしている姿に感銘を受け、教室内で教科書を見ながら勉強する以上の経験をぜひさせてあげたい、と思うようになりました。
そこで、わたしは、わたしが知っているロシア関連の組織や機関に、
「東京にロシア語が開講されている高校があること」
「自分でロシア語を選択した生徒たちが、毎週楽しそうにロシア語を学んでいること」
を知ってもらうためにメールを送りました。
「ロシア文化フェスティバル日本組織委員会」にもメールを送りました。
「もし可能でしたら、年間のプログラムが載った冊子を少し分けていただけますか、生徒たちに見せたいです」
とお願いしたのですが、後日学校に送られてきたのは、「ボリショイ・サーカス」のチケットでした。
その後も、さまざまなコンサートや展覧会、演劇のチケットを送ってくださり、ロシアのアーティストが来日した際には、アーティストを学校にお呼びして、学校内でコンサートを行うということまでさせていただいたりなど、生徒たちにロシアの芸術に触れる機会をたくさん提供していただいてきました。
また、このつながりで、「東京バラライカアンサンブル」の八田圭子先生ともお知り合いになることができ、お忙しい合間を縫って、生徒や卒業生にバラライカを教えていただいています。
○ 〈学校での受け入れ〉
翌年以降は、公的機関を通じて、ロシア人高校生が都立高校を訪れるようになりました。
2011年は、東日本大震災が発生し、福島での事故はロシアでも大きく取り上げられていましたが、その年の秋に、外務省の外郭団体である日露青年交流センターを通じて、日本を愛する高校生と先生合わせて17名が来日し、プログラムの一環で都立高校を訪問してくれました。
生徒たちと準備をし、精一杯のおもてなしをしました。
これが、日露青年交流センターが実施する高校生交流の第一回目となり、その後毎年、日本語・日本文化を学んで いるロシア人高校生が、センターを通じて都立高校を訪れてくれています。
その数、合計で約350 人。さらに、独立行政法人北方領土問題対策協会ともつながりができ、北方四島在住の青少年が、合計で 150人以上、都立高校を訪れてくれました。
2014 年からは私立の男子校でもロシア人高校生の受け入れを始め、高校生以外も含めると、これまでに300人近くを受け入れました。
受け入れの際は、双方の子どもたちが一緒に昼食を取る時間を設け、校内案内をしたり、授業見学・授業体験の時間を設けたりします。
放課後には交流会を開き、わたしの生徒たちは、この日のために準備をしてきた学校紹介のプレゼンテーションをロシア語で行ったり、ロシア語で歌を歌ったり。
ロシア人の生徒たちは、自分たちの町の紹介などをしてくれます。
一緒にゲームをしたり、フリータイムにお菓子を交換しながら一緒に写真を撮ったりなど、とても賑やかに時間が過ぎていきます。
夕方、ロシア人の生徒たちがホテルに帰る時間ギリギリまで交流をしますが、そのころには双方が非常に打ち解けて、その様子を見ながらわたしは、「ああ、今年もいい仕事ができたな」と胸をなで下ろすのです。
ある年には、男子校での受け入れの際、ロシア人たちのバスを見送り、後片付けをしているときに、「もっとちゃんとロシア語を勉強すればよかった」と言って、涙を流した子たちがいました。
このような受け入れ交流をきっかけに、卒業後にロシア語を専門に学ぶことに決めた子や、「先生みたいになりたい」と言って、教育学部に進学した子もおり、多感な時期に「突き刺さる体験」を提供することの意味の大きさを毎年実感しています。
○〈生徒参加〉
学校での受け入れの他に、都内や東京近郊にロシア人と一緒に出掛ける「バスツアー」や、日露高校生合宿、在日ロシア連邦大使館付属ロシア人学校での交流のように、学校外で同年代を中心としたロシア人と密な時間を過ごすプログラムにも、生徒たちはたびたび参加しています。
また、現地でロシア人と交流するプログラムにも、参加枠をいただいて生徒たちを送り出しています。
2015年から始まった日露青年交流センターの高校生派遣では、生徒たちはサンクトペテルブルグに一週間の短期留学を行います。
生徒たちは、現地の学校の生徒の家庭に、各家庭一人ずつホームステイをし、滞在中は、現地の学校に通ったり、市内を観光したりなど、日本でロシア語を学んでいるだけでは感じることのできない、「本物のロシア」を全身で体験します。
これまでに40人ほどの教え子たちが、このプログラムでサンクトペテルブルグを訪れました。このプログラムに参加した生徒の中には、大学でロシア語を専門に学ぶことに進路を決めた生徒も数人います。
大学生になって再び留学をした際や、 ロシア旅行の際に、「当時のホームステイ先を訪問して思い出話に花を咲かせました」、「ホームステイ先の子が日本を訪れた際に、一緒に観光したりなどしました」と卒業生からときどき報告を受けます。
それだけにとどまらず、当時のホームステイ先のロシア人の子と結婚した卒業生もいます。
このほか、公益財団法人国際文化フォーラムが実施するロシア訪問プログラムで、ノヴォシビルスクとモスクワを訪問した生徒もおり、卒業後、大学生になってサンクトペテルブルグに留学した際に、ノヴォシビルスクにも足を延ばしたそうでした。
もう一つの大きな訪問プログラムは、独立行政法人北方領土問題対策協会が実施する、 北方四島訪問交流プログラムです。
これは、「領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結 問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってそのような問題の解決に寄与 する」ことを目的として、平成4年から実施されているものです。
これまでに、15人の教え子たちが、色丹島または国後島を訪問し、現地の視察と交流に参加しました。国後島を訪問したときの映像をYouTubeにアップしていますので、よろしければどうぞご覧ください。
このように、さまざまな外部機関のプログラムのおかげで、生徒たちは高校一年生の頃からたくさんのロシア人の友人を作ることができ、日常的にメッセージや写真を送り合っています。
また、在校中に多ければ200人以上のロシア人と校内で交流し、選抜されれば、ロシアや北方四島を訪問できる機会があるおかげで、生徒たちは常に高いモチベーションを保てているのだと確信しています。
以前に、高校生交流に関する論考を書いたことがありますので、ご興味のある方は、こちらも併せてご覧になってみてください。
・福田知代(2013)「高校生ロシア語学習者が同年代のロシア人と出会う機会を模索して―東京 都内でロシア語を学ぶ生徒たちとの取り組みを例に―」『複言語・多言語教育研究』第1号 (83-106)
http://www.jactfl.or.jp/wdps/wp-content/uploads/2020/03/JACTFL1_83-106.pdf
・福田知代(2014)「実体験を通じたロシア語教育―高校生ロシア語学習者を対象とした取り組みの一例―」『外国語教育論集』第 36 号(83-92)
以上、今回はロシア語を活かすことのできるお仕事シリーズの中休みとして、これまで学校で実施してきた国際交流プログラムについて書いてみました。
次回もどうぞお楽しみに。
(文/福田知代/ロシア語講師、翻訳家、通訳、YouTuber)
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