2020.09.16

音楽家・作曲家で、日本・ロシア音楽家協会の会員でもある浅香満さんインタビュー
「何が起こるか予想できないところが魅力の一つです」

Today's Guest

浅香満さん

音楽家、作曲家。音大卒業後、高校で音楽の教鞭をとりながら、音楽家、作曲家として、作曲を専門に活動。ロシアを始めとした世界各地で開催される国際音楽祭に度々招かれている。カザンで開催された「ヨーロッパ・アジア音楽祭」での演奏経験も持つ。日本・ロシア音楽家協会会員。「日ロドライブ」でも「ロシア音楽裏話」というタイトルで、自身の経験を基にしたコラムを執筆中。

(写真:浅香満さん)


日本・ロシアに縁をもつ「人」にスポットを当て、その「人」を紹介、そし て「人」を通じて、ロシアの魅力や日本とロシアの関わりなどを、車でドラ イブするような冒険心を持って発信していく「日ロドライブ」

第15回は、日本・ロシア音楽家協会の会員のほか、早稲田大学高等学院で音楽の教鞭を取り、同校内のロシア語同好会の顧問も務めていらっしゃる浅香満さんからお話を伺ってきました。

浅香さんは、この「日ロドライブ」内でも、「ロシア音楽裏話」という題でコラムを執筆してくださっています。
コラムでは、ご自身の経験をもとに、ロシア音楽に関するエピソードを面白おかしく、たくさん書いてくださっていて、読み応えたっぷりです。ぜひ、コラムの方もご覧になっていただけると嬉しいです。


今回のインタビュアーは、ロシア語講師、翻訳家、通訳として活躍され、「日ロドライブ」で「ロシアに関係するお仕事紹介」のコラムを担当してくださっている福田知代さんにお願いしました。
福田さんは、浅香さんと同じ早稲田大学高等学院でロシア語の授業を担当しており、浅香さんとも旧知の間柄です。
記事は、お二人の気心知れた、専門性のある掛け合いも魅力になっています。
福田さん、この度はありがとうございました。


--(福田)今日はよろしくお願いします。さっそくですが、まずは浅香さんのご経歴についてお話ししてもらえればと思います。

こちらこそよろしくお願いします。私の出身高校は、現在も教鞭をとっている、ここ早稲田大学高等学院で、卒業後は早稲田大学第一文学部に進学して、そこで2年間学んだ後、中退して音大の作曲科に入学し直しました。今は音楽家、作曲家として、作曲を専門に活動しています。


--元々、大学を中退して、音大に入学し直されるつもりだったんですか?

そうですね、元々音楽を学びたいという希望がありましたからね。
なので、本来であれば、高校の時点で、早稲田大学高等学院以外の選択肢もあったんですが、作曲の師匠から「こういう学校(早稲田大学高等学院)に入学すると非常に面白い。人間関係の部分も色々と鍛えられるから、ぜひ行くべきだ」と言われて。
大学進学についても、早稲田大学に進学しないことを考えたんですが、これについても師匠から、「大学に行けば、きっと面白い学生や先生がたくさんいる。作曲というのは音楽のテクニックだけでなく、人間性を学ぶことがとても重要なので、ぜひ大学に進学するべきだ」といった後押しを受けて、進学を決めたんです。


--音大卒業後はどのような進路に進もうと考えてらっしゃったんですか?

音大では大学院まで進学したんですが、実は大学院卒業後は仲間と一緒に会社を立ち上げようと思っていたんですよ。
音大には、結構ユニークな学生が多かったんです。
例えば、私と同じ作曲科や楽理科には、明治大学や慶應義塾大学といった他の大学を卒業して、音大に入学している学生、いわゆる年齢的には、すでに社会人として活躍しているような人たちが何人かいて。
そうした人たちが中心になって4、5人のグループができて、「何かやろうじゃないか」ということになったんです。
私もそのグループに入っていて、その「何か」というのが会社の設立でした。


--会社設立はすごいですね!どんな会社を設立されようとしていたんですか?

作曲が専門なので、やはり曲を作ったりとか、イベントのプロデュースなどを主な事業として想定していました。
ほかには、ピアノを弾けるメンバーもいたので、音楽のレッスンなども考えていましたね。
ただ、当時の私たちにとって、会社設立は色々とハードルがあって。
例えば、事務所を借りるにも、不動産は住居用や事業用などで扱いが違いますし、ちょっとやそっとじゃできないということでしたので、設立後は当面の生活もままならない状況になることが予測できてしまったんですね。
そうした理由もあって、結局会社設立は断念することになったんです。


--そうなんですね、たしかに卒業後すぐに会社を設立するのはなかなか大変そうです…。会社設立を断念された後は、どのような道のりを歩んで来られたんでしょうか?

幸い、私が早稲田大学高等学院に在学していた時の音楽の先生から、お声をかけていただいて、非常勤講師として働けることになったんです。
それから、音大の同期で11浪(笑)して卒業した人がいたんですが、彼は年齢もあって、当時既にYAMAHAの責任ある立場の職員になっていて、彼から色々な仕事を回してもらったりもしていましたね。
YAMAHAさんの仕事は現在に至るまで続けさせてもらっています。


--その頃から早稲田大学高等学院で働かれていたんですね〜!ぜひ、現在お仕事以外の現在行っているご活動についても聞かせてください!

日本作曲家協議会という作曲家で構成される団体と日本音楽舞踊会議、また日本・ロシア音楽家協会というロシア音楽を中心とした音楽家の会に所属して、それぞれの会で活動を行っています。
どの会でも定期的に作品の発表をしていて、日本作曲家協議会や日本音楽舞踊会議では、年に二回作品発表をしているほか、様々な演奏家と共同で行う作業などを行っています。
日本音楽舞踊会議では、「舞踊」という名称にもあるとおり、普通のコンサートだけでなく、様々な実験的なステージも行っていますよ。


--浅香先生の新曲は私も時々拝聴させていただいています!ちなみに、浅香さんの初めての作曲は、いつ頃だったんですか?

いつもありがとうございます。
初めての作曲は高校生一年生のころですね。先日も演奏してもらいました。
高校時代に作った曲というのは、とても未熟なので、ずっと公表するのを控えていたんですが、ある程度、年を重ねると、もういいかなと吹っ切れてしまって(笑)
本当に未熟な曲ではあるんですが、当時の思い出もたくさん詰まっているので、それもまたいいかなと思っています。


--ありがとうございます。振り返って、未熟な曲の良さを感じられるというのは、これまでのご経歴があるからこそですよね。次に、浅香先生がロシア音楽に関心を持ったきっかけなどを教えていただければと思います!

私のピアノの師匠の師匠がレオ・シロタというロシア人の方だったんですよ。
ロシアには、ロシア奏法という独特なピアノ奏法がありますよね。
ロシアは決して音楽の先進国というわけではなかったので、追いつき追い越せの精神で頑張ってきたという歴史があります。
ベートーベンの弟子がツェルニーで、ツェルニーの弟子がフランツ・リスト、そして、その弟子にロシア人のアレクサンドル・ジロティという人物がいます。
このジロティが、西側のピアノ奏法をロシアに持ち込んだことがきっかけで、西側のピアノ奏法はロシアに広まっていったんですよ。
私の師匠の師匠、レオ・シロタもその系譜です。
ですから、私も遠く遡ればベートーベンの系譜なんですよ(笑)


--それはすごいですね!胸に刻んでおこうと思います(笑)

レオ・シロタという方はロシア人なんですがユダヤ系で、日本経由でアメリカに亡命した人物でもあります。
そうした経緯もあって、日本にも17年間住んでいて、日本在住中には、ベアテという名前のお嬢さんも生まれているんですよ。
実は、そのベアテさんは、その後、日本国憲法における婦人の権利の条項を作成することになった方なんです。
なので、ベアテさんは、憲法記念日などになると、日本のニュースなどでもよく取り上げられていましたよね。


--親娘揃ってすごい方なんですね!そんなロシア音楽の系譜に連なる浅香先生が、ロシアに感じる魅力はなんでしょうか?

そうですね、ロシアの音楽について言えば、日本の音楽に非常に近いところかなと思っています。
例えば、ロシア音楽には、日本の音楽の音階と同じような音階を使用したメロディがあったりするんですよ。
また、言語に関しても、ロシア語は青森県の津軽弁と似ていると言われたりしますよね。YESは、ロシア語で「Да(ダー)」で、津軽弁では「んだ」、NOは、ロシア語で「Нет(ニェット)」で、津軽弁では「んにゃ」です。
なんとなく微妙に発音が似ていますよね(笑)
そのように、音楽を含め、文化に親近感が感じられるというのもロシアの魅力の一つだと思っています。


--津軽弁とロシア語、たしかに言われてみれば似ている気がします(笑)

また、コラムでも書かせていただいているんですが、ロシア人の方々とお付き合いしていると、面白いというか、予想できないことがたくさん起こるので、何が起こるかわからないということも魅力としてありますね。
コラムで書いたような、日本の常識では測りきれないような事態がたくさん起こりますので、「きっとこうなるだろうな」と予想していたことが、必ずしもそうはならなくて、それがとても楽しいと感じるんです。
もちろん人によっては非常に困る方もいると思うのですが(笑)


--ロシアには「ロシアの尺度」という諺があるくらいですもんね(笑)やはりロシアの音楽に関してもそうした「予想できない部分」があったりするんでしょうか?

そうですね、そういった予想外の展開を見せるような曲もあります。
また、ロシア人の国民性の特徴の一つに「粘り強い」というのがあると思うんですが、ロシア音楽の曲もかなりしつこかったり、メロディーの息が長かったりするものが多いですね。


--なるほど〜。ぜひ浅香先生の一番好きなロシア人音楽家を教えてください!

もちろんチャイコフスキーなども好きなんですが、一番好きなのはアレクサンドル・スクリャービンですね。
スクリャービンの管弦楽作品の中に、「神秘劇」という未完の作品があるんですが、これは、音だけでなく、光や匂いなど、五感全てに働きかけるようなものを取り入れるという趣旨で、上演期間は1、2ヶ月に及ぶけれども、一回しか上演してはならないという決まり、場所もコンサートホールなどではなく、チベットかどこかでスタートするという予定の大規模な作品だったんですよ。
そうした、当時でも前衛的な作品作りに取り組んだスクリャービンの姿勢などがとても好きなんです。


--「神秘劇」の趣旨は以前、お話させていただいたロシア・アバンギャルドにおける超意味言語(ザーウミ)にも通じるところがありそうですね。

そうですね。ただ、私は好きなんですが、スクリャービンはなかなか癖のある人物なので、授業で取り上げた際はあまり評判が良くなかったです(笑)
降霊の会などのちょっと怪しげな会にも出入りしていて、自分で作曲した記憶がないという「六番のソナタ」という作品もあったりします。
以前、その曲を音楽室で流したところ、音響の調整卓が火を吹いたり、風が無いのに換気扇が回り出す、極めつけは、使われていなかった非常用の放送設備から怪しげな音楽が大音量で流れ出すといった原因不明の怪奇現象が次々と起こったこともありました(笑)


--それはすごいですね、面白いです(笑)そんなロシア音楽の中でも浅香先生がお好きな曲はなんでしょうか?

そうですね、スクリャービンだと先ほど言った「神秘劇」とか「法悦の詩」が好きです。「法悦の詩」は英語だと「The Poem of Ecstasy」、交響曲第4番で、これは音と光を組み合わせた作品になっています。


--「法悦」は「Ecstasy」の訳なんですね!次に、浅香先生がこれまでに行ってきたロシアとの交流活動をお聞きしてもよろしいでしょうか?

コラムの中でも書かせてもらっている「ヨーロッパ・アジア音楽祭」をきっかけに生まれた、ロシア・カザンの音楽家たちとの交流が活動の一つにあります。
音楽祭の後、彼らに日本に来てもらって、演奏してもらったり、逆にカザンに行って演奏する機会なども増えたんですよ。
例えば、「ヨーロッパ・アジア音楽祭」の主催者・ラシッド・カリムリンというタタール人の方が来日して、彼の作品とタタール作曲家同盟内の彼の仲間の作品を、タタール人の演奏家が演奏することで、タタール音楽の魅力を日本に伝えてもらうといったこともありました。
この音楽祭をきっかけにしたカザンとの交流を機に、青森県教育委員会の委員長などもカザンに訪問するようになったんですよ。
カザンに、日本と中国、韓国の物がごっちゃになって展示されている博物館があったんですが、その博物館の展示物の整理を行ったのが、青森県教育委員会の方々だったんです。
そんな様々な交流活動もあってか、ロシアの中でもカザンは日本語教育の熱が高く、日本語の教育システムも進んでいるそうです。私たちの活動が、どの程度かはわからないんですが、少しでも交流に貢献できているといいなとは思っていますね(笑)

また、そのほかに、日本・ロシア音楽家協会の活動として、自分の作品だけでなく、ロシア人の作曲家の作品を定期的に日本で紹介するという活動も行っています。


--たしかに、カザンには日本語センターのようなものもあって、日本語教育がとても盛んですよね。これは浅香先生たちのおかげだったんですね!日本・ロシア音楽家協会の活動については、以前、ラフマニノフの作品を紹介された際に、少しお手伝いさせていただきましたよね!せっかくなので、ぜひラフマニノフのことも、ここで少し話していただければ(笑)!

わかりました(笑)
ラフマニノフはロシアの作曲家ではあるんですが、タタール人の血を引いていて、ロシアとタタールの両方の暖かさを持っている作曲家です。
カザンの国立音楽院に行くと、学長室にはラフマニノフの肖像画が飾ってありますし、コンサートホールの正面部分にはラフマニノフのパネルが出ています。
このことから、タタール人にとって、ラフマニノフは英雄なんだろうなということが窺えますよね。


--そうですよね。ラフマニノフは、ロシア全体にとってもすごく英雄的な人物ですもんね。ありがとうございます。次に、これまで浅香先生が携わった日ロ交流の中で一番心に残ったことをお聞きしてもよろしいでしょうか?

たくさんありますね〜(笑)
ロシアを初めて訪れたのは、共産主義政権の崩壊した直後の1993年です。
当時、モスクワの最高会議ビルに政府が銃弾を打ち込んだという事件があって、その爪痕が残っているような状況でしたね。
うーん、ちょっとたくさんありすぎて、何から話せばいいかわからないので、順次コラムで書いていきますね(笑)!


--わかりました(笑)コラムを楽しみに待ちます!浅香先生は現在、早稲田大学高等学院で先生もされているわけですが、音楽を通じて生徒のみなさんに伝えたい思いはあったりするんでしょうか?

音楽そのものも楽しんで学んでもらいたいんですが、ここは音楽学校ではありませんので、楽しんで学ぶと同時に、ここで学んだことを社会に出たときに生かしてもらいたいとも思っています。
そのため、授業では、音楽そのものだけでなく音楽家たちの人生も題材にしています。
先ほど、ラフマニノフが話に出ましたが、ラフマニノフは若い頃に一度シンフォニーの初演を失敗させられて、それから3年間作曲ができないという時期があったんですね。
そのような絶望の状況から、どのようにして立ち上がっていったかというようなことなども生徒たちに教えて、生き方の参考にしてもらいたいなと思いながら、授業をしています。


--少し話が逸れるんですが、早稲田大学高等学院は音楽学校でないにも関わらず、音楽に造詣の深い生徒が多くて、クラスに1人はピアノがとても上手な子がいたりしますよね。特に、私の担当しているロシア語のクラスには音楽をしている生徒が多いと感じていて、全国的にも珍しい高校ではないかと思うんですが、浅香先生はそれについてどんな背景があると思いますか?

そうですよね、たしかに第二外国語でロシア語を選択する生徒は、音楽クラブで責任のある立場に就いている人が多い傾向にありますよね。
学校全体で言うと1クラスの内、6割の生徒がピアノ経験者ということも偶にあったり、音楽の科目を選択していない生徒の中にも、ピアノがとても上手な生徒がいたりします。
私は年度によっては早稲田大学教育学部の授業を担当することもあって、その授業の合間に脳科学の先生などと雑談する機会があるんですが、そこで聞いたところによれば、天才を育てるためにはピアノを習わせるのが一番良いんだそうです。
脳と指の関係上、両手で違うことをするというのは脳に良い影響を与えるそうで、子どものころからそうしたことに慣れ親しんでいると、賢い子に育っていくそうなんですよ。
音楽に接したことが、他の分野にも幅広く繋がっていくというのは面白いですよね。

また、音楽をしている生徒が、ロシア語を選択することについては、ロシア語を学ぶことで、音楽をより深く理解できるようになるかもしれないことも理由の一つとしてあると思います。
ロシア語の会話はリズミカルで、まるで音楽を聴いているような感じがしますし、言葉の意味がわからなくても、楽しく聴いていられる言語ですよね。


--中学三年生の時点で、言語と音楽の関係などを理解して、ロシア語を選んでいるとしたら、なかなか興味深いですよね。浅香先生が今後行っていきたい活動などについてもお聞きしてよろしいですか?

先ほど、お話したことと少し被ってしまうんですが、音楽に関する活動はもちろん、今後は、周りの人たちに対して、生きていくことの意味を深めてくれるような、そんな様々な感性を与えられるような活動をしていければと思っています。


--ありがとうございます。最後に、浅香先生にとって「ロシアとは」という部分についてお聞かせしていただけると嬉しいです!

そうですね、私にとってロシアは、ロシア音楽も含め、ロシアという国そのものが与えてくれる感性が私の生きる意味や価値を高めてくれる、そんな存在になっています。
先日、ハバロフスクから来日した若い音楽家の方々との交流会も、音楽とロシアが上手く交わった良い会で、とても刺激になりました。


--今日は本当にありがとうございました!浅香先生のお話がたくさんお聞きできて楽しかったです。またコラムも楽しみにしてますね!




浅香満さんの所属する会の情報についてはこちらから

名称:日本・ロシア音楽家協会
HP:http://japan-russia-sfm.net/

名称:日本作曲家協議会
HP:https://www.jfcomposers.net/

名称:日本音楽舞踊会議
HP:http://www.cmdj1962.net/

浅香満さんのコラム「ロシア音楽裏話」はこちらから

https://nichiro-drive.com/archives/tag/ロシア音楽裏話





(インタビュアー/福田知代)

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