東京都内でロシア語講師や通訳・翻訳などのほか、YouTuberとしても活動されている福田知代さんの『ロシアに関係するお仕事紹介』最終回です。
前回までの連載記事はこちらから
(以下、福田さんのコラムです)
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「日ロドライブ」の読者のみなさん、こんにちは。福田知代です。
連載も、今回で最終回となりました。
このシリーズでは、ロシア語を活かすことのできるお仕事のうち、わたしがフリーランスとしてこれまで経験してきた仕事や立場について、順番にお話ししています。
これまでに、①翻訳のお仕事、②映像翻訳のお仕事、③ロシア語を教えるお仕事、④高校でのさまざまな国際交流プログラム、⑤辞書編纂のお仕事、⑥通訳のお仕事、⑦大学でのお仕事、⑧「コロナ禍」におけるロシア語のお仕事の状況(わたしの場合)、⑨YouTubeへの動画投稿、⑩北方領土へのビザなし交流、⑪色丹島訪問についてお話ししてきました。
ご興味のある方は、どうぞそちらもご覧になってみてくださいね。
国後島訪問について~2016年は上陸できず
前回の色丹島訪問に続き、今回は、ビザなし交流での国後島訪問時の様子について、島内の写真を交えながらお話をしたいと思います。
わたしは2016年と2017年に、国後島を訪問する北方領土交流事業に参加しました。
2016年8月は諸事情により上陸することができず(※当時のニュース記事を探していただくと、「諸事情」の詳しい内容が分かりますよ!)、国後島の沖合で数日間停泊したのち、そのまま根室港に帰港。
よりによって、ちょうど日本列島に台風が接近していたために、新千歳空港から羽田までの便がなくなり、引率していた生徒4人とともに、急遽、新千歳空港内のホテルを取って一泊することになりました。
生徒たちは、度重なるイレギュラーで、日常を忘れてとても楽しそうでしたが、一方のわたしは、生徒たちを東京から根室まで連れて行き、船内では副団長を務め、帰りの便を振り替え、ホテルを確保し、そしてこれから全員を問題なく東京まで連れて帰らなくては、との責任感から、かなり疲れてしまい、ホテルの部屋でようやく一人になることができて緊張が緩んだのか、しばらくさめざめと涙を流しました。
その夜は、ホテル宿泊者対象の特典で、新千歳空港内にある温泉を生徒たちと一緒に利用し、翌日、生徒の提案で(やることがなさすぎて)、羽田便までの時間に、映画館でなぜか『ファインディング・ドリー』を鑑賞。
そして、夜に無事、羽田に帰ってくることができました。
このときの訪問団は、「情勢のど真ん中」をリアルタイムで経験し、生徒たちは船内で、同行の記者さんのインタビューに答えるなど(その後、新聞に掲載されました)、国後島に上陸して現地で日程をこなす以上に、大変刺激的な一週間となったようでした。
現地でロシア人と交流することができなかったため、男子校の生徒たち二人は、その後学校で行われた国際交流の報告会で、「国際交流をするどころか、ロシア語を発する機会もありませんでした」と、お笑いのような発表をし、都立の女の子は、高校卒業後、「あのときの経験が大きかったから」と、ロシア関連の学生団体に入り、ロシアに短期留学するまでになりました。
ようやく上陸できた2017年
翌年の2017年、ようやく国後島に上陸することができました。
このときの様子は、わたしのYouTubeチャンネルでご覧いただくことができます。
→【北方領土】国後島に行きました🚢 – YouTube
文字情報よりも、静止画の情報よりも、動画の方が何倍もずっとリアルにお伝えできると考えて、現地ではたくさんの動画を撮影してきました。
再生リスト「国後島に行きました」の総再生回数は3万2千回を超えており、注目の高さをうかがい知ることができます。
2017年は生徒5人を引率していきました。
羽田空港を発ち、中標津空港に到着。中標津空港からバスに揺られ、根室市内へ。
もう四回目なので、慣れたもんです。
このときは、根室に到着したその足で、大きな荷物を持ったまま、北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)で行われる事前研修会に出席しました(今回も副団長を務めます)。
夕方までみっちり事前研修をしたのち、「民宿えびすや」に宿泊しました。
これまでの3回の根室滞在では、いずれもビジネスホテルに宿泊していたので、民宿に泊まるのは初めてでしたが、「えびすや」さんは、とにかくお食事が豪華でした!
夕食は、蟹づくし。東京から来たわたしたちを、大変歓迎してくださいました。
翌朝、国後島訪問団と択捉島訪問団が一緒に交流船「えとぴりか」に乗り込み、根室港を出て、北方四島のある海域を目指しました。
およそ4時間で国後島の沖合に到着し、入域手続きのあと、「えとぴりか」から「はしけ」という小さな船に乗り換えて、国後島に上陸しました。
港には、国境警備隊の建物がありました。
わたしたちを待ち構えてくれていた島民の車に分乗し、古釜布(ふるかまっぷ)地区の高台にある「友好の家(通称・ムネオハウス)」に到着。
友好の家は二階建てで、一階は、一部屋に二段ベッドが四つ設置されています。
シャワー室、食堂もあり、食事は現地の方が厨房で調理してくれます。
調理のお手伝いをしていたロシア人の女の子の顔に見覚えがあり、話してみたところ、数か月前に東京での受け入れで会っていた子だということが分かりました。
島内のドライブ
夕方、訪問団員全員で車に分乗し、古釜布から北に5キロほど行った海岸を目指してドライブ。
ここには、戦後、島を追われるまでこの地に暮らしていた日本人が「ローソク岩」と呼んで親しんでいた不思議な形の巨大な岩があります。
ロシア人たちはこの岩を「悪魔の指」と呼んでいるそうです。
ちなみに、古釜布地区の道路は基本的にアスファルトで舗装されていますが、古釜布を出てローソク岩がある海岸までの道は、大きめの小石を含んだ砂利道でした。
走行中は、タイヤが巻き上げた大きめの小石が車の窓にガチガチ当たります。色丹島も国後島も、道路が悪くてもへっちゃらな、パワー系(?)の車が主流なのです。
郷土資料館訪問、日本人墓地墓参、地元の青少年たちとの交流会
翌日は、午前中から島内の図書館、学校、郷土資料博物館を視察。
郷土資料博物館では、地元の子どもたちのための折り紙ワークショップが開かれており、訪問団員もツルなどを折って子どもたちにプレゼントしてきました。
その後、古釜布の西の地区にある日本人墓地を訪れ、お墓参りをしました。
お墓参りのあとは、学校で地元の青少年たちとの交流会。
ロシア人の男子生徒の本気の「だるまさんが転んだ」で盛り上がり、椅子取りゲーム(ロシア人の男子生徒は紳士的なため、女子に椅子を譲ってしまいます)やルチェヨークで親交を深めました。
住民交流会~共同経済活動について語り合う
島民との交流行事が続き、このあと、大人の島民たちを交えた住民交流会が行われ、グループごとに、「共同経済活動」をテーマに語り合いました。
2016年12月にプーチン大統領が来日し、山口県で安倍首相と首脳会談を行ったときのことを覚えていらっしゃる方も多いでしょうか。
ちょうど、平和条約締結実現のための準備のような形で、8項目の日ロ経済協力プランが発表され、今後の進展が期待されていた時期でしたので、非常にタイムリーなテーマで意見交換を行うことになりました。
わたしは司会役だったので、当時のメモが手元に残っています。
AからDのグループで意見交換を行った結果、さまざまなアイデアや、島民からの要望が出てきました。
特に島民からは、島内のごみ問題や、メディカル・ジェットの導入などの医療に関する要望が出され、島の自然を活用した観光産業に関するアイデアも出されました。
訪問団員からは、観光というアイデアをさらに膨らませて、北方四島に世界的なカジノ施設を建設するのはどうか、そして、双方のシルバー世代のための医療付き老人ホームを併設し、カジノの収益で運営していくのはどうかという、大変ユニークな提案も出されました。
島民のお宅へホームビジット
住民交流会のあとは、いよいよホームビジットです。
わたしのグループは、行政府で働いているというマリヤさんのおうちにお招きを受けました。
ご主人はお仕事中で不在でしたが、マリヤさんの友人ご夫妻も加わり、大変楽しい夕食となりました。たくさんのお料理を準備してくださっていて、わたしが通訳をしながら、おいしいお食事をお腹いっぱいにご馳走になりました。
夕食後は、マリヤさんのお子さん、友人ご夫妻のお子さんたちとともに子供部屋で遊び、最後におみやげをお渡ししました。わたしは、マリヤさんに着物をプレゼントしました。大変喜んでくださり、わたしもとてもうれしく思いました。
島内視察
国後島三日目は、午前中から再び島内の視察です。
この日は、まずは消防署と、完成したばかりだという、屋内プール付きのフィットネス施設「アファリーナ」を視察。
フィットネス施設の裏手は絶景が広がる断崖で、出発の時間まで、爽やかな風に吹かれながら周囲を散策しました。
そのあと、本格的な洗礼の儀式も行うことのできる、ロシア正教会の大きな教会を視察しました。
希望者は塔に上って鐘のつき方を教えていただけるとのことで、鐘つきを体験させてもらいました。
視察のあと、昼食のために一旦「友好の家」に戻り、昼食後に、地元の青少年も交えて、ロシアの伝統工芸のワークショップが開かれ、見よう見まねで、ホフロマ塗りの木のスプーンに絵付けを施しました。
ワークショップのあとは、グループごとに、友好の家の近くにある商店街を視察(=買い物)。
どんなお土産を買ったかは、購入品紹介の動画をご覧いただければと思います。
→【北方領土】国後島に行きました【おみやげ編】 – YouTube
最後の宴~コーディネーターさんたちへの感謝
島内はそこまで暑くはないですが、8月の日差しが降り注ぐ中、スーパーで買ったアイスを食べながら、公園を通って友好の家に戻ってきました。
わたしたちが商店街の視察から戻ると、友好の家ではパーティーの準備が着々と進められていました。
テーブルにご馳走が並び、島民も集まってきて、最後の宴です。
わたしは、島側のコーディネーターさんやサハリン州の議員さん、行政府の代表の方と、訪問団側の議員さんたちと一緒のテーブルでした。
訪問団側の議員さんたちは、島側のおもてなしに「裏の意図」があるのではないかと考えているようで、友好的な最後の宴に似つかわしくない発言を次々になさり、我々の国後島滞在が円滑に進むよう奔走してくれていたコーディネーターさんの顔が赤くなっていくのが分かりました。
わたしもさまざまなプログラムでたくさんのロシア人を受け入れる経験をしていますが、そのような双方の友好を支えるための重労働の後ろには、良心と厚意があるだろうと思っています。
気分を害しているだろうコーディネーターさんに、わたしは最大限の感謝の気持ちをお伝えしました。
翌朝、択捉島訪問団を乗せて国後島に戻ってきた「えとぴりか」に乗って、島を後にしました。
根室帰港後、記者会見に臨みました。
こんな感じで、今回は国後島を訪問したときの様子をご紹介しました。
さて、昨年5月から続いてきましたわたしの連載は、12回目の今回をもって最終回となります。
毎月の駄文にお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
今後も引き続き、「日ロドライブ」を陰から支えてまいります。それではみなさま、ごきげんよう!
(文/福田知代/ロシア語講師、翻訳家、通訳、YouTuber)
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