2020.09.29

【コラム】ロシア音楽裏話 第5話
『“ロシア的”』

Columnist

浅香満

音楽家、作曲家。音大卒業後、高校で音楽の教鞭をとりながら、音楽家、作曲家として、作曲を専門に活動。ロシアを始めとした世界各地で開催される国際音楽祭に度々招かれている。カザンで開催された「ヨーロッパ・アジア音楽祭」でも演奏の経験を持つ。日本・ロシア音楽家協会会員

ロシアを始めとした世界各地で開催される国際音楽祭に度々招かれるなど、世界を舞台に活躍されていらっしゃる音楽家・作曲家の浅香満さんのコラム「ロシア音楽裏話」第5話です。



前回までの連載記事はこちらから
(以下、浅香さんのコラムです)
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「リハーサル」と聞かされていて向かった先が、実は市長主催の「歓迎会」であり、 そこで数々の珍プレーを披露した音楽祭出演者でしたが、まだ続きがありました。

この「スピーチ」とウォッカの「乾杯」のセットが何度も繰り返されたことで、かなりのメンバーがすっかり「出来上がって」しまい、
歓迎会終了後もカザン市の「お偉方」に詰め寄ろうとして引き止められている者、
その場で倒れこんで寝てしまい介抱されている者、
廊下に出てからも床の清掃をしていた年配のふくよかな女性に抱きつこうとして制止された者、
外に出てからも何故か車のボンネットに乗っかりそこから屋根によじ登ろうとして引き摺り下ろされている者等、
酔っ払いが「酔っ払いならではの行動」をとることは万国共通のようで、収拾がつかないちょっとしたカオス状態になってきました。

そこで再登場したのが正義の味方(?)、10名の音楽祭送迎スタッフです。

彼等は問題行動を起こしているメンバーを宥め賺してアッという間にバスに乗り込ませ、その手際の良さはさすがに「プロの仕事」を感じさせました。
因みにテレビカメラのクルーをはじめとする取材陣は歓迎会の終了と同時にいち早く撤収し、この様子が世界に配信されずに済んだことにホッと胸を撫で下ろした関係者は少なくなかったことでしょう。
それにしても「ウォッカ、恐るべし」です。
音楽祭出演者は全員、「世界最高レベル」の音楽家とのことですが、その片鱗を見せる前に人間性を暴き出し、中にはより親しみを抱いた関係者もいたようですが、本当に彼らで大丈夫なのかという疑問を多くの責任ある立場の者に投げかけたようでした。


因みに昔のロシアでは政治的、経済的な重要な問題を扱う会議であっても、「先ずウォッカで乾杯」し、その酩酊状態で審議、協議をしていたこともあったと伝え聞きますので、もしかしたら何故共産主義は崩壊したのかを検証する過程で、このウォッカが陰で果たした役割は決して少なくは無いものと思われます。


さて、音楽祭送迎スタッフの鮮やかな手腕によって無事全員が収容された送迎バスは、本日の当初の目的地であるリハーサル会場に向かおうとしました。
その時、比較的「正気」を保っていたメンバーから「一旦ホテルに戻ってほしい」という要望が出ました。
何しろ「緊急避難」のつもりでバスに乗せられたメンバーが殆どで、楽譜や楽器も持ち合わせておらず、大半が部屋着はまだしも、パジャマや下着姿のメンバーもいたからです。

そこでリーダーらしき人物を中心に送迎スタッフ間で何やら協議らしきものが始まりましたが、先程の迅速な行動とは正反対になかなか終わりそうにありません。
通訳のセルゲイさんに一体、何を話し合っているのかを尋ねたところ、ホテルに戻るとそのままベッドに倒れこんで起きてこないメンバーが出ることを危惧しているとのことでした。
しかしながら服装はともかく、楽譜や楽器無しではリハーサルは 意味を成さないという結論に漸く達してメンバーの要望を受け入れ、ホテルに戻ることが決定しました。
日本的常識に則ればそのような判断は瞬時に下せそうですが、10分以上かかったのも「ロシア的」なのかもしれません。


ホテルに到着すると送迎スタッフのリーダーらしき人物から、予定より大幅に遅れているのでとにかく急いでほしいという旨の言葉があり、バスから降りた時点で千鳥足のメンバーには両脇をガードするようにスタッフが張り付いてまるでどこかに連行されるように建物の中に消えて行きました。

我々日本人グループにも部屋に戻りたいかと問われましたが、あのいつ来るか、どこに停止するかわからないエキセントリックなエレベーターと再び格闘するとなると、相当精神力を消耗しそうで、かと言って階段を使って10階まで昇り詰めると今度は体力の方 を消耗しそうで、リハーサルで高いパフォーマンスを発揮する気力が失せてしまいそうです。

元々我々はリハーサルのつもりで当初から用意はしてあったので、バスで待機することにしました。
千鳥足氏の他にもこのまま部屋に戻すと出てこなくなりそうなメンバーにも複数のスタ ッフが付き添って行きました。
この様子ですと長時間待つことも覚悟していたのですが、さすが送迎のプロ集団、10分とかからずに全員がバスに戻ってきました。
先程のホテルに戻るか否かのディスカッションより遥かに短い時間です。
頭脳を駆使する知的作業にはどうも必要以上に時間がかかってしまうようですが、当初から与えられていた「任務」であれば極めて効率的に遂行できるところも「ロシア的」と言えそうです。


ところで皆さん、 「外出用」の服に着替えたようなのですが、さすがにパジャマ姿、下着姿はいなかったものの先程と大差ない気がします。
ともあれ、今度こそ本当にリハーサル会場へ出発進行です。
リハーサル会場は、タタール作曲家同盟の建物、及びロシア国立カザン音楽院の練習室の2ヶ所に分かれていました。
「白亜の殿堂」とも称されるタタール作曲家同盟の白い外壁が美しい建物は長い歴史を感じさせる風格を持ち、サロン式のコンサートホールや練習室、会議室等を備えています。
ここの「主」であるカリムリン作曲家同盟チェアマンより我々日本人グループに、ちょっとお茶を飲んでいかないかというお誘いを受けました。
確か先程、送迎スタッフリーダーより「予定が大幅に遅れている」と聞かされていたので躊躇っていると、英語で「ノープログラム」と言ってきました。ノープログラム・・・??
予定が全面的に変更になってしまったのでしょうか・・・「?」が頭の中で広がった時に、そう言えば・・・つい昨日のことが思い返されました。


日本人作曲家の奥様でニューヨーク在住のピアニストがカリムリン氏に 「ドゥ ユー ライク ジャパン?」と初歩レベルの英語で尋ねたところ、氏の答えは「オーケー」でした。
この地では、共産主義が崩壊したことで漸く政府が若者を対象とした英語教育に力を入れ始めたところで、大人の世代の英語力のレベルはカリムリン氏に限らず実践からほど遠いものでした。
実際、カリムリン氏も英語は今、正に勉強中とのことで、彼の英語の「先生」は13歳になる娘さんだそうです。
先程の「ノープログラム」は恐らく『ノープロブレム』と間違えていたものと思われます。
実はその後も音楽祭関係で何か問題があると、と言うより問題だらけであったことから、氏に相談に訪れる者が後を絶たなかったのですが、その度に「ノープログラム」が連発されていました。

「作曲家同盟チェアマン」はタタールスタン全域の音楽面に於ける最高権力者の一人でもありますので、「最高権力者」故、誰も間違いを指摘できなかったようで、実は2年後にも同様の音楽祭がこの地で開催されたのですが、カリムリン氏の「ノープログラム」は、2年経過しても健在でありました。


ウォッカの他に頻繁に出てくる飲み物は何といっても「チャイ=紅茶」でしょう。コーヒーもなくは無いのですが、口にする機会はチャイの方が圧倒的に多かったです。
ロシアでは料理にしても飲み物にしても万事、味が「濃いめ」で、特に「甘さ控えめ」にすっかり慣れている日本人にとってロシアの「甘さ」は半端ではありません。
何しろカップ(※作曲家同盟ではガラスのコップでした)に注がれた紅茶の下半分は砂糖なのですから。
これは作曲家同盟で出されたものが特別であったわけではなく、ホテルでもどこでも紅茶の下半分は砂糖であることが「標準」なのです。
更に彼らはこれに加えて舌が麻痺しそうなほど甘いジャムを時には舐めながら啜るのです。
一口飲んだだけでもその強烈な甘さに胸焼けを起こしそうになり、以来、チャイを注文するときは「ビエス サハラ(ル)=砂糖無しで」と一言添えなければなりませんでした。
ちなみにこれは私が最初に覚えたロシア語です。
「挨拶」よりも先に覚えました。


カリムリン氏はもっと我々と話をしたかったようでしたが、これ以上リハーサル会場で先方を待たせるのにはさすがに気が引けてきましたので、席を立つことにしました。
会場の音楽院は作曲家同盟の直ぐ近くにあり、歩いて5分ほどの距離です。
ピアニストで指揮者でもあるミハイル・プレトニョフが幼少時代にここの付属音楽学校で学び、1998年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞し、表彰式のために来日したこともある現代最高峰の作曲家の一人、ソフィア・グバイドゥーリナの母校としても知られているロシア国立カザン音楽院は、老朽化のため間もなく建て替えられるとのことで作曲家同盟の建物よりも更に古い歴史が建物の隅々まで刻み込まれているように感じられ、まるで博物館を想起させるような立派な門構えでした。


我々日本人グループは全員、この音楽院がリハーサル会場となっていました。
風格のある門をくぐり建物の中に入ると、先ず鋭い視線の守衛が睨みを利かせています。
守衛室横の入り口は空港の搭乗ゲートのようになっており、バーによって塞がれた狭い通路に入って少し立ち止まり、守衛の厳重なチェックを経た後、漸くバーが開いて中に入れるシステムになっていました。
ロシアでは共産主義崩壊直後は政情も安定せず、何かと物騒な事件が頻発していましたので、このような厳重なセキュリティチェックによって音楽を志す若者に絶対に危害が加わることの無いように部外者、不審者は誰一人として一歩たりともこのゲ ートを通過させないぞ!!・・・という強い決意が感じられ、ちょっとした感動を覚えました。

 

その後、何度かこの音楽院に足を運んでいくうち、裏通りに面したところにも別の出入り口があることが判明し、何とここはノーチェックで誰でも自由に通過でき、更にここの他にも例えば崩れかかっている塀や穴の開いた壁等からもいとも簡単に侵入できる「非正規」の出入り口の存在も数か所あることが明らかとなり、殆どの学生が正面玄関を通過することなく入構している事実を知った時、開いた口が塞がらなくなってしまいました。

 

あの正面玄関の厳重なセキュリティチェックは一体、何だったのでしょう・・・
ロシアの文化、芸術の神髄を極めようとして資料を紐解いて行くと、驚嘆、感心させられるような完璧なまでの厳格さや真似のできない緻密さに遭遇すると同時に、それを根底からひっくり返し、言葉を失い唖然とさせられるようなアバウトさに面食らうことがあります。
この極端な両面の混在には本当に驚かされるのですが、音楽院の出入り口は正にその象徴と言えるのではないでしょうか。

---来月更新予定の第6話に続きます---






(文/浅香満/日本・ロシア音楽家協会、日本作曲家協議会、日本音楽舞踊会議 各会員)

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