ロシアを始めとした世界各地で開催される国際音楽祭に度々招かれるなど、世界を舞台に活躍されていらっしゃる音楽家・作曲家の浅香満さんのコラム「ロシア音楽裏話」第8話です。
前回までの連載記事はこちらから
(以下、浅香さんのコラムです)
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ロシア、カザンで1993年に開催された「ヨーロッパ・アジア国際音楽祭」で披露された拙作は、その前年に初演された「クラリネット、ピアノとヴィオラのための三重奏曲」でしたが、実はこの曲、「電話が繋がっていれば」存在しなかったかもしれない作品でした。
既に作曲前に「4つの楽章で」構成され、「演奏時間が15分を要する」ことをチラシやプログラムの印刷の日程の関係で発表してしまいました。
もし、私が「巨匠」「音楽界の重鎮」であれば、事前発表と異なった作品を披露しても場合によっては「伝説」となったり「面白裏話」のような形で話題を提供することも有り得たでしょうが、何しろまだ「駆け出し」の身。
このような事件を起こしたら今後の作曲活動の前途に暗雲が立ち込めることは容易に想像できました。
にもかかわらず、作曲がなかなか進みません。
演奏時間が僅か2分30秒の第1楽章を書き上げるのにさえ実に3ヶ月も要し、この時点でコンサート本番の日まで既に1ヶ月を切っていました。
どう考えても残る3つの楽章を完成させ、しかも演奏家に練習していただくことも含めた期間として「1ヶ月」を切っているのは非現実的であるという以外の結論に達することはできません。
そこで、これまでの人生初の「ギブアップ」を決断しました。
その決断を下した時はちょうど仕事で青森に滞在していました。
夜の青森港を何度も歩き回りながらの苦渋の決断です。
岸壁から海をのぞき込むと吸い込まれそうで、一時は本当にこのまま飛び込んでしまおうかとさえ思ったほどです。
チャイコフスキーがペテルブルグのネヴァ川へ入水自殺しようとした伝記映画の一場面も一瞬脳裏を過り、思わず身震いしました。
気を取り直して青森駅前の公衆電話に向かい、総合プロデューサーで会の主幹であるピアノの師匠に連絡を入れました。(因みにピアノの「師匠の師匠」はロシア、ペテルブルグ音楽院の教授を務めていた大先生です)
当時はまだ携帯電話は普及しておらず、硬貨を投入してかける「公衆電話」が最もポピュラーな通信方法でした。
案の定、長時間にわたる説教を食らうことになるのですが、その説教より気になることがあって内容は殆ど覚えていません・・・
師匠は東京に居住しておりましたので、青森~東京間はいわゆる「長距離通話」となります。
携帯電話が常識の世代にはちょっと想像しにくいことと思いますが、硬貨投入口には「10円硬貨用」と「100円硬貨用」の2種類あり、当初、10円硬貨のみで対応しようとしていたのですが、用意した硬貨は「長距離通話」故、まるで雨の雫のように瞬く間に音を立てて電話機の奥に沈み込み、忽ち消滅してしまいました。
そこで泣く泣く100円硬貨を投入しましたが、10円硬貨ほど急速ではなかったものの、無限に続きそうな師匠の説教にまるで相槌を打つかのように少しずつ、そして確実にその姿を電話機の中に隠していくのです。
そしていよいよ最後の1枚となってしまいました。
果たして・・・この最後の1枚を投入した途端、説教が終了しました。
因みに100円硬貨を投入した際は、通話時間がいくら残っていても「おつり」は戻ってきません。
もしあと1枚、10円硬貨があればこの1枚で凌ぐことができ90円分を失わずに済んだ・・・という悔しい思いの方が強くて説教の内容は全く覚えておりません。
が、しかし実務的な内容に関してはちゃんとメモを取っておきましたので、関係者へかける迷惑を最小限度に留められるよう迅速な対応が必要であることが理解できました。
先ず、「クラリネット、ヴィオラとピアノのための三重奏曲」作曲断念の件は渋々ではありましたが、了承していただき、その数年前に作曲して既に発表していた「ヴィオラとピアノのためのソナタ」の再演に差し替えることとなりました。
当初の演奏者はヴィオラは日本を代表するオーケストラであるN交響楽団のY・O氏、ピアノはO県立芸術大学助教授(当時)のT・S氏が担当してくださることが既に決定しており、クラリネット奏者を顔の広い(文字通り本当に顔面も広い方でした)Y・O氏が探してくださることになっていたのですが、この時点でまだ「未定」という状況でした。
幸か不幸かクラリネット奏者が「未定」であったことからチラシやプログラムのレイアウトは決まっていたもののまだ「本印刷」には回っておらず、また、差し替える予定曲も「ヴィオラとピアノ」という編成の曲であり、クラリネットは含まれていないことから甚大な迷惑へは発展せずに済みそうで、ホッと胸を撫で下ろしたものです。
総合プロデューサーである師匠からの指示は、先ず今回の演奏家のリーダー的存在のN交響楽団のY・O氏に事情を話して謝罪し、了解を得た後に曲目差し替えを実施するようにとのことでした。立ち込めていた暗雲から少しだけ光が差し込んできたような思いでした。
ここは何としてもY・O氏が「クラリネット奏者を見つける前」に、一刻も早くY・O氏の了解を得ないと・・・と、思いましたが、見たら手元には公衆電話をかけるための10円硬貨も100円硬貨ももう残っていませんでしたので、取り急ぎ駅前のコンビニで小物を購入して札を崩すことにしました。
コンビニに入店し、最初に目についた最も安そうな品は「78円のカップアイス」でした。
何しろ、目的は買い物ではなく札を崩すことですので、高価な品である必要はありません。
そして「78円」の品なら、100円硬貨だけでなく10円硬貨も入手でき、最も理想的な品のように思われました。
しかし、このような時に限って手元に「1000円札」がありません。
「1万円札」はあるのですが、1万円札で78円の品を購入すると店員に多大な労力を強いるような気がしてきました。
また、以前読んだギャグマンガに、どこへ行っても一万円札の両替を拒否されてしまい餓死寸前に追い込まれた内容のものがあったことが記憶から蘇り、一万円札は周りに迷惑を及ぼす「不便な札」という認識が呼び起こされました。
そこでつい思わず「クレジットカード」で購入してしまいました。
78円の品をクレジットカードで購入することも少し憚られましたが、一万円札より「まし」でしょう。
店員は「一括になさいますか?それとも分割になさいますか?」と訊いてきました。
おそらくクレジットカードでの購入者に対する「決まり文句」なのでしょう。
しかし、この時私の意識は、とにかく一刻も早くY・O氏に電話をすることでしたので、あまり深く考えておらず、反射的にオウム返し式に最後の文句である「分割で」という言葉を思わず言ってしまい、何と78円のカップアイスを「12回払い」の分割にしてしまったことを後で後悔しましたが、今はそれどころではありません。
カップアイスを片手に急いで駅前の公衆電話に戻り、再度電話しようとした段になって初めてコンビニへ行った目的がアイスの購入ではなかったことに気付き、自分の迂闊さを恥じました。
ちょっとバツが悪かったのですが、この近くには他に営業している店がありませんでしたので、再度先程のコンビニに戻ることにしました。
同じ店員が何やら訝しそうにこちらを眺めています。
つい先程、78円の品を12回のカード分割払いで購入した怪しげな客が舞い戻り、次は何をしでかす気かと警戒しているようにも見えます。
全く同様の78円アイスを今度は一万円札で再購入することも考えましたが、これではいかにも店員に嫌がらせをしているようで挙動不審人物として通報されかねません。
そこでここでは次に安そうなジャスト100円のペットボトルのお茶に品目を変更し、そのペットボトルをレジに置いてから徐に一万円札を差し出ました。
店員は先程クレジットカードを出した財布を眺めながら一瞬固まってしまいましたが、無事9900円のお釣りを出してくれました。
電話をかけるための硬貨を得ることはできたのですが、「10円硬貨」が入手できていないことが何とも惜しいと強く思ってしまいましたので、試しに100円硬貨一枚を10円硬貨10枚に両替するように頼んでみました。
店員は更に不信感を露わにこちらを眺めましたが、何とか両替に応じてくれました。
こうして通報されることなく少し回り道をしましたが、100円硬貨に加えて10円硬貨も入手できたことに妙な満足感を覚えながら駅前の公衆電話に足を向けると、この様な緊急時に限って今度はいつの間にか別の人が電話を占拠しています。
駅前ならもっと設置する電話の数を増やすべきだろうと先程は考えもしなかったことに恨みがましさを滲ませながら待っている時間の何と長いことか。
散々待たされた挙句、漸くY.・O氏への電話が叶いました。
しかし、今度は応答がありません。何度電話してもY.・O氏は勿論、ご家族も誰も電話に出ません。ここから想像を絶する苦難が始まるのでした。
交響楽団の演奏会は通常夜に開催され、終演時間は21時頃になりますので、もしかしたらまだ帰宅していないのかもしれません。
最初に買ったカップアイスも徐々に溶け出し液状化してきていることもあり、ここは一旦ホテルに戻り、深夜にまたかけ直すことにしました。
ホテルからも勿論、電話は可能なのですが、根が貧乏性でケチである私は手数料が割高になることを恐れ、歩いて5分ほどの駅前公衆電話に夜遅くに向かいました。
ダイヤルすると今度は「話し中」となっていました。なんでこんな時に・・・と気を揉み、キャッチフォンにしておくべきだとも考えましたが、実は私の自宅もキャッチフォンにしていないことを思い出し、自分に都合の良い発想しかしなかったことを責めました。
「話し中」ということは、少なくとも帰宅しているのは間違いなく、まもなく重大任務を果たせそうです。しかし今度は何回かけても「話し中」なのです。よほど重要な話なのでしょう。
「お詫び」の電話を入れる立場上、平身低頭の姿勢を貫かなければなりませんので、冷静さを保つために一旦電話ボックスから離れ頭を冷やそうとしました。
この深夜の時間帯で唯一空いているのは「あのコンビニ」だけでした。
ここで少し時間を潰そうと入店したところ何とまだ先程の店員が交代することなくレジに立っているのでした。
店員は三度入ってきた私を確認すると少し後ずさりし、78円のカップアイスを12回のカード分割払いにし、100円のペットボトルのお茶を一万円札で購入した挙句、10円硬貨への両替まで要求した人物が、果たして今度は何を企んでいるのか戦々恐々として身構えているようです。
明らかに私を凝視しているその視線にさすがに耐え難くなって何も買わずに直ぐに店を出ることにしました。
先程から数分しか経っていませんでしたので、恐らく電話しても「話し中」は終了していないものと思われましたが、試しに再度かけてみると今度は運よくコール音が鳴っており、やれやれ漸く長電話が終了したかと安堵したのも束の間、今度は誰も出てくれません。
その後も何度かけ直しても一向に誰も出る気配がありません。
迷惑を承知で約1時間に亘って何度も試みてみましたが、電話は結局受けてもらえることはありませんでした。
翌日も、更にその翌日も深夜、早朝を問わずあらゆる時間帯に頻繁に電話を入れてみましたが、全く成果はありませんでした。
実は後で知ったことなのですが、Y・O氏はN交響楽団も事務連絡等で手を焼くほどの業界でも有名な「電話嫌い」なのでした。そのため連絡がつかないことによるトラブルが後を絶たず、それでも、電話嫌いの姿勢を貫いているという強者でした。
連絡が取れないまま時間だけが経過していくうちに「頼みの綱」であった「未定のクラリネット奏者」をY・O氏がとうとう見つけてくださってしまい、その連絡を首を長くして待ち構えていた事務局が瞬く間に演奏者名を入れたチラシとプログラムを印刷業者に回し、驚くべき早業で用意を完了させてしまいました。
主幹との約束で拙作の曲目差し替えは「Y・O氏の了解」を得てからというのが絶対条件となっておりましたので、いくら連絡がつかなかったとは言え、もう後の祭りです。
また、曲目差し替えに纏わる追加経費の負担は全額私が負うことにもなっていましたので、これからチラシやプログラムの変更のための刷り直しの費用を計算するとなると、牛丼の大盛りを並盛にする、ラーメンのトッピングを諦めるレベルでは到底補えません。
第一、印刷物の用意が完了したこの時点でも依然としてY・O氏には連絡がつかないままでした。
更にY・O氏が見つけてくださったクラリネット奏者は当時、有名な音楽コンクールで優勝したばかりの注目を浴びている若手演奏家で管楽器界のスターとして最も期待されている方でした。
本来なら喜ぶべきことなのですが、果たして演奏を快諾してくださっているこの若手スターの演奏を断り、変更に伴うすべての経費を負担し(ふと学生時代、生活費に困窮した友人が、毎日下校時刻が迫った頃にレッスン室や練習室をくまなく駆け巡ってそこに残された忘れ物を搔き集め、翌日に周りに売り捌いて何とか生計を立てていたことが思い出されました)、何より全く連絡が繋がらないY・O氏にここまで尽力していただいているのにもかかわらず、お詫びして了解を取り付ける精神的な重圧と、考え直して当初の予定の通り遅々として進まない作曲の続行を強行することのどちらを取るべきか・・・
悩むまでも無く、根が臆病者の私は「作曲続行」の方を選択し、軌道修正することにしました。
日本を代表するN交響楽団の奏者、O県立大学助教授という「偉い方」に加えて「注目の新星演奏家」という駆け出しの作曲家には身分不相応のもったいないほど豪華な演奏家が控えているのにも関わらず、演奏会本番まで1ヶ月を切りながら未だに作品が完成していないことが周りに知れ渡ったったことで各方面から心配の声が寄せられるようになりました。
今「心配の声」と柔らかい表現で書きましたが、もっとストレートに言えば脅迫めいたものや「お前のせいでコンサート全体が失敗に終わったらタダでは済ませないぞ」という明らかに脅しの声もあります。
先述したように「根が臆病者」「根が貧乏性」故、このプレッシャーに打ち勝つためにはとにかく書き続けるしかないと覚悟を決めました。
するとどうしたことでしょう。
2分30秒しかない第1楽章の完成に3ヶ月も要していたのにもかかわらず、残る3つの楽章を僅か1週間で全て完成させていました。
一つの楽章当たり2日程度で書き上げたことになります。
しかも、演奏時間も3つの楽章合計で15分となっており、4つの楽章全体では17分というちょっとした「大作」に仕上がっていたのです。
なかなか筆が進まない時に「脅し」がいかに有効であるのかを思い知った瞬間でした。
因みに私は現在、教育関係の仕事も手掛けているのですが、卒論やレポートの進行が著しく遅れがちな生徒、学生には自分のことを棚に上げてこの「脅し」の手法を用いて指導しており、この手法が発揮する威力は正に「絶大」以外の何ものでもなく、私の担当生徒、学生はこれまで提出期限を超過した者が一人も出ていないという快挙を成し遂げています。
少し話が脱線してしまいましたが、この「電話が繋がっていれば存在しなかった作品」が遠く離れた異国ロシアの地で、しかも「国際音楽祭」という晴れ舞台で、現地の最高の演奏家の手で披露されようとしていることに深い感慨をも覚えながら、ロシア国立カザン音楽院のリハーサル室の前に立ち、入口の扉をノックしたのでした。
---来月更新予定の第9話に続きます---
(文/浅香満/日本・ロシア音楽家協会、日本作曲家協議会、日本音楽舞踊会議 各会員)
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