日本・ロシアに縁をもつ「人」にスポットを当て、その「人」を紹介、そして「人」を通じて、ロシアの魅力や日本とロシアの関わりなどを、車でドライブするような冒険心を持って発信していく「日ロドライブ」。
第18回のゲストは日露文化オーガナイザー、ロシア料理研究家の中川亜紀さんです。
日露文化オーガナイザー、ロシア料理研究家として活動し、「食」をテーマにした様々なイベントを開催している中川さんですが、その他にも、ロシア語児童の日本語講師・サポート員としての活動や商社などでのロシア語通訳も行っており、その精力的な活動は多岐に渡ります。
この「日ロドライブ」でも「お皿の上のロシア」と題したロシア料理・文化に関するコラムを執筆してくださっています。
今回は、そんな中川さんに、「食」を通じた日ロの文化交流やロシア人のメンタリティ、価値観、中川さんが文化交流を続けている理由など、様々なことをお聞きしてきました。
言語学を学んだ岡山大学時代
--今日はよろしくお願いします!まず初めに、ざっくりとした質問で申し訳ないんですが、改めて、中川さんのプロフィールをお聞きしてもよろしい でしょうか?
出身は岡山県岡山市で、生まれも育ちも岡山です。
父方の実家が岡山県内の牛窓町にあったんですが、その地域は海が近かったこともあり、夏休みには、しょっちゅう島に行ったり、ヨットに乗ったりしながら、瀬戸内海を身近に感じて、アクティブに過ごしてましたね。
そうして、県内の県立高校、そして岡山大学へと進学しました。
私の学生時代は作家の村上春樹さんの作品がとても流行っていて、その関係で、村上さんも翻訳を手掛けられているアメリカの作家・ フィッツジェラルドに興味を持ったことが、当時フィッツジェラルド研究の第一人者が在籍していた地元・岡山大学に進学したきっかけの一つです。
ただ、残念なことに、その方は私の入学と同時期に退任されてしまったんですけどね (笑)
その後は、当初の目的とは違いましたが、大学で英文学などについて学ぶうちに、言語学に興味を持つようになって、真剣に学ぶようになったんです。
この時に言語学を熱心に学んで、様々な文法の仕組みを頭に叩き込んだことが、世界一文法が複雑と言われるロシア語を習得する上で、とても役に立ちました。
夫の転勤で初めてのロシアへ。はじめは手探りだったモスクワ生活
--言語学を学んでいたことも、ロシア語の早期習得に繋がっていたんですね!そんな、中川さんがロシアと関わりを持つようになったのは何がきっかけだったんでしょうか?
大学を卒業してから、当時の夫が日本の省庁に就職したことがきっかけで、 東京に移り住むことになったんです。
夫の職場は在外公館への転勤もある役所だったので、いずれ海外へ転勤する機会もあるんだろうな〜とは思ってました。当初は、転勤先としてフランスを想定していて、フランス語を学んだり、フランス人の友達を作ったりしてたんです。
けれど、ある日、自宅で子どもといる時に、夫から「転勤先がモスクワになった」という電話がかかってきて(笑)
ロシアのことなんてクラシック音楽のことくらいしか知らなかったので、大丈夫かなと思いましたね。
モスクワでの駐在が決まったときは、それこそロシアでの生活に関して、知らないことだらけだったので、夫からの電話を受けて、すぐにパソコンに向かい、ロシアの治安や生活について調べることに没頭したのをよく覚えています。
実際に行ってみると、深い文化と芸術性を持っていて、本当にいい国だと身をもって感じることになったんですけどね。
--それまではロシアとの縁は全然なかったんですか?
そうですね、中学校時代に吹奏楽部に所属していたんですが、 その吹奏楽部が強豪だったこともあって、同級生たちがJPOPを聴く中、ひたすらチャイコフスキーやストラヴィンスキーといったロシアのクラシック音楽を聴いていたことが、縁といえば縁ですかね(笑)
ただ、その時に培ったロシアのクラシック音楽の知識は、今でもロシア人たちと話す上で、とても役に立っています。
--最初は手探りだったんですね〜。モスクワに駐在されてからの生活はいかがでしたか?
着いてから一ヶ月ほどは、英語を含めて、言葉が全然通じなかったこともあって辛かったですね。
モスクワに住み始めて、割とすぐにバカンスがあったので、家族でフランスの友だちのところに遊びに行ったんですが、フランスではフランス語はもちろん英語も通じますし、街中の人たちも、みんなニコニコしていて、フランス最高!って思ってしまったのを覚えています(笑)
ロシア人たちは挨拶をしても滅多に笑うことがないですし、当時は、なんだかんだ心が荒んでいたこともあって(笑)
ただ、バカンスを終えてロシアに戻ってからは、子どもが幼稚園に入園したこともあって、「やるしかない」という気持ちで、本腰を入れて必死にロシア語を学び始めました。
そうして、拙いながらも、ロシア語が話せるようになってくると、だんだん地元の人からも話しかけてくれるようになったんです。
地元の人は、外国人に対して全く偏見がなくて、ロシア語が話せさえすれば、見るからに外国人とわかる人に対してでも気軽に話しかけてきてくれるんですよ。
子どもを連れて歩いていたりすると、地元のおばあちゃんが近づいてきて、 話しかけてくれたりすることもありました。
そんな風にして、日々ロシア人とコミュニケーションをとっているうちに、 ロシア人を含め、ロシアの文化、ロシアという国そのものに、どんどんハマっていったんです。
今でもよく覚えているのが、本格的にロシア語を学び始めてから3ヶ月くらいたった頃のことです。
よく買い物に行く市場の店員さんと話したときに、自分がある程度ロシア語ができるようになってることに気づいたんですね。
この時に、「地元の人とコミュニケーションが取れるようになった」、「市場で買い物ができるようになった」と感じたことで、ロシアの生活ってすごく楽しいかもしれないと思うようになったんです。
ここから、ロシアでの生活に対する考え方も変わってきましたね。
--ロシア語ができるようになったと感じたことがロシアに対するポジティブな感情につながっていったんですね!
そうですね。ロシア語を勉強するようになって思うのは、人それぞれに、その人の個性や資質に合った言語というのが存在するんじゃないかということです。
私自身に関していえば、英語はあまり好きじゃなかったですし、フランス語やイタリア語、スペイン語もイマイチで、学習の段階で躓いてしまったんですが、ロシア語に関しては学ぶのが楽しくて、自分の中にスゥッと入ってきたんですよ。
感情表現の仕方など、ロシア人ならではの気質が、あまり日本人らしくない私にすごくフィットしていて、自分の考えや思いを相手に伝えやすいのがロシア語だったんだと思います。
ロシア料理研究家を志したきっかけ
--なるほど〜、言語学を学ばれた中川さんならではの視点ですね。そこからロシア料理研究家になったきっかけはなんだったんでしょうか??
元々、私は料理は大好きで、小学生くらいから自分でおやつを作ったりしていましたし、岡山は美味しい食材が多いこともあって、舌も肥えてました。
料理というのはコミュニケーションの一部であると思っていて、モスクワ生活における日々のコミュニケーションの中でも、随所に料理に関する話題があったんです。
例えば、ロシアのスーパーで買い物する時のことなんですが、食材を購入し ようとすると、同じく買い物をしているロシア人の地元のおばちゃんから、 「その食材は何に使うの?」の聞かれて、それがきっかけでコミュニケーションが始まる、といった感じです。
また、モスクワ駐在時、私の家族は外交官家族だったこともあって、現地のロシア人外交官たちを自宅に招待して、ホームパーティをする機会があったんですが、その際は私が料理を作って、フルコースでおもてなしする必要があったんです。
そうしたホームパーティで作るフルコースでは、日本らしさを取り入れることを意識していました。
ただ、現地の食材だけで和食を作るのは無理だったことに加えて、現地のロシア人たちにとって、純和食の味は抵抗が強いので、フレンチ、ロシア料理をフュージョンした料理を出すようにしていましたね。現地の人に馴染みのない味の料理を提供するのはおもてなしでなく、文化の押し付けになってしまいますから。
そうこうしているうちに、文化を伝える手段としての、「食の可能性」というのを強く感じるようになって、「食」という、相手に伝わりやすい形で、日本に関する文化などを伝えていければと考えるようになったんです。
私がロシアに住んでいた2009年から2012年の間には、ロシア国内に「料理教室」というものがなかったことも、ロシア料理研究家になったきっかけの一つですね。
当時のロシアでは、ロシア料理を学ぼうと思ったら、個人的に有名レストランのシェフなどにお願いして、教えてもらうといった方法しか普及していなかったんです。
そこで私は、身近にいるロシア人の中でも、料理上手な人たちに、「私の家で料理を教えてほしい」旨をお願いして、ちょっとした料理教室のようなものを開催することにしたんですよ。
他の駐在の奥さんたちも呼んで、私が通訳をしながら開催したのですが、これが、私が初めて開催した料理教室です。
最初は駐在法人の奥さんたちを対象にした料理教室でした。
帰国するのが辛すぎるほど、生活の中で実感したロシアの魅力
--中川さんのロシア料理研究家としてのキャリアは、旦那さんのお仕事が一つのきっかけになっていたんですね!3年間でロシアからは帰られたんですか?
そうなんです、3年でロシアからは帰国しました。
帰国するのが辛すぎて、飛行機の中でも号泣してしまって、JALのCAさんに心配されたくらいだったんですよ(笑)
ただ、実はこの時にも「食」にまつわるエピソードがあって。
帰りの飛行機での機内食で、久しぶりに和食を食べたんですが、その時の料理や料理に使われている食材のバリエーションに感動して、「日本ってこんなに食材が豊かな国だったんだな」と改めて実感したんです。
「日本という国は食に関して、こんなにも豊かな生活をしていたんだ」と、この時に感じたことがきっかけで、ロシアの食文化を日本に伝えるだけでなく、日本の食文化をロシアにも伝えたいなと思うようになりました。
--3年間のロシア生活で、ロシアの魅力の虜になったんですね!
そうなんです、ロシア人が視界に入らずに自分は生きていけるのか、と思ったほど辛くて、不安で、寂しかったですね(笑)
ロシア人との付き合い方は、日本人との付き合い方と比べて、心の開き方みたいなものが全然違っていて、私には、ロシア人の人付き合いの仕方がすごく合っていたんですよ。
日本人は他人とコミュニケーションをとる際、自分の発言を相手がどう受け取るかを無意識に考えながら話していると思うんですが、ロシア人的にはそのようにして発言された言葉は嘘になってしまうんです。
本当に思っていることをストレートに発言しないのは嘘、変に忖度することを嫌うというのがロシア人の民族性です。
言語構造的にも、ロシア語は、心のままにストレートに使う語彙が多いんですよ。
ロシア人とのコミュニケーションでは、他人に迷惑をかけることは全然オッケー、助けることができるときは助ける、怒るときは怒る、最終的にはそれら全てを許す、という感じで全てが素直でストレートなんですよね。
そんなロシア式の、他人との心の距離なく、どっぷり付き合うようなコミュニケーションの仕方が私にはすごく合っていたんです。
帰国してからの、ロシアに関わる様々な活動について
--帰国してからは、どのようにロシアとの関わりを持っていったんでしょうか?
日本に帰国してからも、なんとかロシアとの関わりを持ちたいと思って、吉祥寺にある「カフェロシア」というロシア料理を提供するカフェを見つけてアルバイトすることにしたんです。
そこは厨房の方がみんなロシア人で、ロシア語ができることがバイトの条件だったので、都合がよかったですし、この経験からもロシア料理への造詣は深まりました。
「カフェロシア」で働いていたロシア人たちの中には、シベリアや極東地域の出身で、日本に出稼ぎに来て、家族に仕送りをしているような方たちもいて、モスクワのように、経済基盤がある程度確立されている都市に住むロシア人とは全く違う価値観を持っていましたね。
そういった方たちと話す中で、モスクワだけでロシアを知ったことにはならないんだということを学んで、強く実感するようになりました。
--帰国してからもロシアへの知見は広がっていったんですね!それこそ日本に戻られてからもロシアに関する様々な活動をされてきたと思うんですが、その点もぜひ聞かせてください!
そうですね、ロシア料理のカフェなどでアルバイトをするなどして、帰国してからもロシアに関わろうと思ったのは、元々は、 いつか自力でロシアに戻って生活するためでしたからね(笑)
なので、そのためにはロシアに関係する何らかの仕事(技能)を身につけることが必要だと感じて、帰国してからは、15年間の専業主婦生活に区切りをつけ、フードコーディネータースクールに通い、「料理・食」を仕事にできるようにしつつ、「カフェロシア」で働いてました。
また、それと同時に、日本に暮らすロシア人の子どもたちが通う学校におけるサポート活動も行っていました。
そこでは通訳をしたり、子どもたちにとっての母国語であるロシア語を使って、日本語を教えたりしていたんですが、実のところ、それらは名目で、その仕事の本質は子どもたちが母国語で言いたいことを言える「憩いの場」を作るというものだったんです。
これは、私がモスクワに住んでいた時期に、私の子どもが言葉が通じない生活をしてきた中で、欲しかったサポートそのものでした。なので、その時に助けてくれたロシアの人たちに恩返しをしたいな、という思いもあって始めたんです。
帰国した2012年はそのように、「料理教室をするための基盤作り」、「ロシア人の子どもたちに対する日本語教師」、「ロシア人家族のサポート」の3つの活動を中心に行っていました。
料理教室に関しては、当初は日本人向けのロシア料理教室のみ開催してい たんですが、そのうち、日本在住で日本人の旦那さんを持つロシア人女性たちから、「和食の作り方を教えてほしい」というお願いをされるようになって、ロシア人向けの日本料理教室も開催するようになりました。
そこから、その日本料理教室がどんどん拡大していって、「日本にいるロシア人」だけでなく、「ロシアにいるロシア人」にも和食を教えてほしいとお願いされるようになり、バカンスではなく、仕事としても訪ロできるようになったんです。
いざ、そうした仕事でモスクワに行ってみると、ちょうどロシアで料理教室のビジネスが始まった時機と重なったこともあって、いくつかのスタジオがすぐに興味を持ってくれました。
当時ロシアでは、「食」も含め、様々なビジネスの機運が高まっていました。
国内に異文化を取り入れ、それを発展させてビジネスに繋げる意味でも、訪ロする日本人である私には需要があったんですよ。
それまでにも、日本政府の関係者などが日本文化を伝えるために訪ロしてはいたんですが、通訳を通してのやりとりでは、ロシア人の気質的に、なかなか胸襟を開いた付き合いができないことが多いんですよね。
その点、身ひとつでロシアに渡り、ロシア語を使って自分の気持ちを表現できる私は、現地のロシア人たちにとって、日本の日常生活などについて気軽に聞ける存在であり、面白がってもらうことができたんです。
そうした要素が、 私の活動が単なる一過性の文化の交換にとどまらず、今日まで日本とロシアの文化交流を続けることができている理由だと思っています。
--中川さんはロシア料理研究家として、現地のメディアなどにも出演されていますよね?
そうですね、雑誌のインタビューなども受けていますし、ロシアのテレビやラジオにも出演したことがあります。
メディアへの出演では、料理について語るのはもちろんなんですが、日本人とロシア人の慣習の違いや、民間人である私がなぜこんなにもロシアにハマることになったのか、という経緯についてもお話しさせていただきました。
こうしたメディア出演を通じて実感したのは、「食」というのは、私にとってあくまで媒体にすぎなくて、ロシア人たちは、「食」を通じて、 私という1人の日本人が、どのようにロシアを見ているのかを知りたがっていて、それを私は発信していること、そして、今後も発信していきたい、ということでした。
「食」をテーマに日ロ交流を行う理由、ロシア料理の魅力
--メディア出演では文化に関するコメンテーターのような役割も担われていたんですね!先ほどきっかけについてはお聞きしましたが、ロシアとの文化交流において「食」や「料理」を、ご自身の継続的なテーマにしようと決めた理由はなんだったんでしょうか?
私にとって、「食」や「料理」というのはコミュニケーションツールの一つとして元々持っていたものです。
また、自力でロシアに赴くために、ロシア関連の仕事をしようと思ったとき、自分の中で仕事にできそうなものが料理しかなかったんですよ。
なので、料理というものは私にとってはロシアとの交流のためのツールでしかなくて、料理を使って人と人とを繋げながら、日本、ロシア双方の誤解や 偏見などを取り除いたリアルな情報に基づく日ロ交流を行うことを心がけています。
「食」というのは日常と密接していて、政治とも関係ないですし、芸術のような高尚なものでもない、人の日常を表すもので、ありのままのものであるという点が魅力的なんですよね。
--なるほど、中川さんにとっては、ツールとしての「食」なんですね!そうした中で、ロシア料理ならではの面白さなどはあったりするんでしょうか?
日本とロシアの食文化を比較した際に、実は和食とロシア料理が対極の存在にあるという点が面白いと思っています。
和食というのは、日本の四季に富んだ温暖な気候のおかげで、 年中、旬な食べ物が冷凍ではなく、新鮮なまま食卓に届きます。
なので、和食というのは、「できるだけ短い調理時間で、できるだけ素材の味を壊さない」をモットーにしていて、特に西日本では出汁などを使って、食材の食感も残したままにする料理も多かったりするので、すごく豊かな食文化なんですよね。
反面、ロシアはトマトやきゅうりなどの新鮮な野菜は夏しか採れないこともあって、夏に収穫された野菜やきのこ、ベリーなどは冷凍や瓶詰めにするなどして、冬のために保存食にする必要があります。そして、長時間煮込んだり、オーブンで焼くなどして、あえて食材をぐちゃぐちゃにして、美味しいハーモニーを作り出し、翌日も美味しくなるようにするのがロシア料理なので、これは和食とは真逆ですよね。
このように対極に位置する食文化だからこそ、双方に伝える意義があると思っています。
最近は、日本でも働く女性が増えているので、 保存食や作り置きに関するロシアの知恵といったものが、日本の家庭でも役に立つ時代になってきているのかなと思いますね。
逆に、ロシアにおいても、最近は物流が発展したこともあって、新鮮な食材を手に入れることができる機会が増えました。なので、ロシアも新鮮な食材をいかに美味しく食べるかということを学ぶ時機が来ているといえるかもしれません。
国によって、調理法にはそれぞれ個性がありますが、これには必ず理由がありますし、人の個性に関しても同じことが言えると思っています。
大事なのは、それぞれの個性を尊重して、自分たちだけの常識にとらわれず、一度常識の殻を破り、その個性が生まれた理由まで考えることだと思っていて、この思考プロセスが日本が今後多くの外国人を受け入れ、様々な文化を持つ人々と付き合っていく上で重要になるのではないでしょうか。
この思考プロセスを身近で感じることができるのが、料理、そしてキッチンという場所だと思っています。
今後の目標は、「文化交流」を「経済交流」に繋げること
--最後に日本やロシアの料理、そして文化交流を通じて、中川さんが伝えたいことや今後やってみたいことなどをぜひ聞かせてください!
私は音楽も大好きなので、最近は、ロシアの代表的な楽器の一つであるバラライカの普及活動にも力を入れていれていて、音楽を含め、「芸術」と「食」を組み合わせた文化交流を中心に活動しています。
ただ、そうした交流に取り組みながらいつも思っているのは、文化交流で、単に双方の国が文化を伝えあうだけでは、みんなが仲良くなって、お互いにリスペクトされる土壌を作ることは不可能ではないか、ということです。
実のところ、私が文化交流を行う目的は、単に両国の文化をお互いの国に伝えることではなく、「価値観が違いすぎて、日本/ロシアとはビジネスをする気にならない」と思っている日本人、ロシア人ビジネスマンたちに、文化交流を通じて、価値観の溝を埋めてもらい、新しいビジネスを始めてもらうことなんです。
私は日本の商社などで、通訳をさせてもらう機会もあるんですが、商談の場で、お互いの国の文化に関する話は和やかに進むのに、いざビジネスの話になると、価値観が違いすぎて、契約書を結ぶに至らないといったケースは多いです。
例えば、ビジネス上、日本では「検討させていただきます」と言って、断りの文句とすることも多いですよね?
けれど、ロシアでは「そもそも契約する気がないなら、 その場でストレートに断るべき」というのが慣習で、この慣習の違いはお互いの信用問題にも繋がるものだと思います。
こうした慣習やメンタリティの違いを「食」や「音楽」などの文化交流の場で、語り合ってもらい、お互いの価値観の違いを知って、文化交流を、その溝を埋めるきっかけにしてもらいたんです。
日本とロシアの間で一つでも多くのビジネスが成り立っていくようになれば、日本製品がロシアで、ロシア製品が日本で普及するというように、両国の製品がお互いの国に流通していく可能性があって、あまり想像したくないんですが、もし戦争が起きそうになったとしても、これが抑止力になってくれると思うんです。
ロシア国内で、無くてはならない物が日本製品になり、これがなければロシアとしても動きがとれない、というような状況であれば、 ロシアにとって日本は戦争の相手方になりにくいですよね?
結局、戦争を抑止するのは、相手の文化に対するリスペクトや友情などではなく、経済だとも思っていて、経済上、いかに両国が離れがたい関係になっているか否かという部分にかかっていると思います。
このように考えると、日ロの経済が繋がることのメリットは、モスクワ・東京の首都間だけではなく地方都市レベルの交流によっても得られると思うので、地方の企業同士でビジネスが生まれ、地方経済が繋がることも非常に価値があることですよね。
日本とロシアが戦地で敵国同士にならないよう、両国の経済的な結びつきを強めるためにも、食文化や音楽を通じて、日本・ロシアの慣習やメンタリティを両国でビジネスをしている人たちに伝えることが私の目標です。
私にできるのは、一人一人を対象にした、すごく小さなことですが、いつもそのことを念頭において、活動しています。
ロシア料理に関しては、日本ではまだ需要が少なくて、私自身、ロシア料理そのものについて、日本のメディアから取材を受けることは、ほとんどないです。
けれど、ロシアでは、日本の食文化というのはすごく需要があるんです。
例えば、これまでもロシア国内ではマクドナルドよりもお寿司屋さんの方が多いくらいだったんですが、そのお寿司はロシア風にアレンジされたものだったこともあって、近年のビザの緩和やインターネットの普及などに伴って、ロシア人たちが本物のお寿司とは違うということに気づき始めた結果、本物のお寿司を知りたがるようになったんです。
そうして、ロシア国内では、日本人が握るお寿司屋さんが増えました。また、ここ数年、ロシア国内で和菓子やたこ焼き、かつ丼など、日本ならではの「食」を扱うお店から、「日本人から直接コンサルティングを受けたい」という要望がすごく増えているんです。
これは、もしかすると、私以外にもできることかもしれませんが、私はコンサルティングをしながら、先ほど言ったように「食」を通じて、日本人のメンタリティや思考回路を伝えることができます。この部分は、通訳を通して、料理のテクニックを伝えるだけの料理人にはできないことではないかと思っていますね。
なので、今後はロシアの和食レストランなどに向けて、料理のテクニックはもちろん、日本人のメンタリティや思考回路などを総合的に伝えるコンサルティング事業を増やしていきたいとも思っています。
他にも、「食文化を伝える」というのは、その国の人や社会のあり方を伝えることにも繋がると考えているので、日本・ロシア双方の国に対して、「食文化から見えるそれぞれの国の人や社会のあり方に関する情報を発信する」ことで、両者がより円滑に関係を構築するための一助になれればと思っているんですが、 こうした情報発信についてはまだ準備段階ですね〜。
現在、ロシアでは、ITの分野などで、私よりも若い世代の人たちによるスタートアップ企業が増えていますよね。
私世代や私より上の世代で商社に勤務しているような人たちは、ロシアとのビジネスから既に一線を退いていることもあって、今回インタビューしていただいた皆さんも含め、今後は若い世代の人たちの始めるビジネスこそ価値があると思っています。
ぜひ活躍してほしいですね。
--たしかに経済的な結びつきも、お互いの関係を作る上で、とても大事だと思います。料理のコンサルティングもとても需要がありそうですね〜!中川さんのお話を聞いて、僕たちも、そうした日ロ関係を作る一助になれるような活動をしていきたいと強く思いました。中川さん、今日は貴重なお話をありがとうございました!
中川亜紀さんの情報はこちらから
↓
名称:a.k.i. kitchen project
HP:http://www.aki-russia.jp/
(インタビュアー/大森達郎、山地ひであき)
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