2020.12.07

日露青年交流センターの職員・谷本達也さんインタビュー
「日露青年交流センターの仕事を通して、ロシアと日本の架け橋を作りたいと思っています」

Today's Guest

谷本達也さん

大学のロシア語学科を卒業後、日露青年交流センターの日本語教師派遣事業を利用し、ウラジオストクの極東連邦大学で二年間、日本語講師を勤める。現在は、日露青年交流センターの職員として、広報や青年交流事業等、幅広い活動を行っている。

(写真:谷本達也さん)

 

日本・ロシアに縁をもつ「人」にスポットを当て、その「人」を紹介、そして「人」を通じて、ロシアの魅力や 日本とロシアの関わりなどを、車でドライブするような冒険心を持って発信していく「日ロドライブ」

 

第19回のゲストは、日露青年交流センターの職員・谷本達也さんです。

日露青年交流センターは、日ロ交流の増進を目的に、短期招聘・派遣事業や日本語教師派遣事業、若手研究者等に対するフェローシップ供与事業をおこなっているセンターです。
同センターでは、1999年7月の事業開始以来、2019年末時点で約9,000人の日露の青年交流を実施しています。

谷本さんは、そんな日露青年交流センターの日本語教師派遣事業を利用し、ウラジオストクにある極東ロシア最大の大学・極東連邦大学で二年間、日本語教師を勤められた経験もお持ちの方です。
現地で、日本学科のロシア人学生たちに日本語を教えるだけでなく、日本人留学生との交流事業なども行い、日本とロシアの架け橋となるような重要な役割も担ってらっしゃいました。

 

現在も日露青年交流センターの職員として、広報や青年交流を通じ、ロシアと深く関わり続けている谷本さん。そんな谷本さんのロシアとの縁、そして谷本さんの考える今後の展望などに迫ります。

 

大学のロシア語学科への入学。音声学を学んだ大学時代

--今日はよろしくお願いします!まずは、谷本さんとロシアの初めての出会いについてお聞きしてもよろしいでしょうか?

私は大学でロシア語を専攻したのですが、受験時に合格したのがたまたまロシア語学科だったんです。
なので、ロシア語との出会いは本当に偶然。
ただ、入学したら、その魅力にどっぷりハマってしまい、院生活も含めると6年間ロシア語を勉強していました。

大学院では言語学の中でも音声学を専攻していて、音の波形を見るソフトを使ってパソコンと睨めっこしながら音の研究をしていました。めっちゃ暗いでしょ…笑

音声学はとても奥が深くて、日本人にとって些細な違いでも、別の言語にとっては重要な音の違いがあったりして。自分の世界観を広げてくれる感覚があり、面白かったんです。
記念すべきロシアへの初訪問は大学院の時で、本当にキリル文字を使って生活している人々がいるんだなと実感したのを覚えています。
当たり前なんですが、念願のロシアの地に降り立つことができて感動しましたね。

 

--意外にもロシアへの訪問は大学院の時が初めてだったんですね!その後は日本語教師の資格を取得されたと思うのですが、どのようなきっかけだったのですか?

せっかく学んだロシア語が使える仕事を…と思っていましたが、中々良い機会に恵まれず、一般企業を受けていました。
ただ、大学院時代にお世話になった教授から「この分野の研究は君に託した。君にしかできない分野だから是非成功させてほしい」という声を頂いていたんです。
そんな背景から、ゆくゆくは研究の場に戻りたいと考えていたので、面接に進んでも、「その会社で働きたい!」と本心から伝えることができず、卒なく内定をもらうこと ができなかったんです。

そんな調子で就職先が決まらないまま、卒業が迫る日々に焦っていましたが、言語学で日本語の音声の研究も併せて行っていたこともあって、日本語講師として働くことを考えはじめました。

その後、日本語講師の養成講座に通い、大学院を卒業して3年後、晴れて資格を取得。2014年の秋からベトナムやネパールから来た留学生を対象に都内の日本語学校で日本語を教えていました。

 

日本語教師として、極東ロシア最大の大学・極東連邦大学へ派遣

--ご自身の信念を貫くお姿が本当に素敵です!その後は念願のロシア派遣…ですよね!

そうそう。私がロシア語を専攻していたことを知ってくれていた日本語教師仲間3人が、なんと同時に日露青年交流センターの日本語教師派遣事業の公募情報を送ってきてくれたんです(笑)
「このチャンスはお前のためにあるだろ」って。
念願のロシアでの仕事ができるということで、出願。朝の9時から夕方5時まで続く長い試験と面接を潜り抜け、 無事合格することができました。

その後、派遣地域が発表されたのですが、まさかの極東地域で。
ただ、ロシアで教えることが一つの目標だったので、寒かろうが耐えよう!頑張ろう!と思い渡航を決意しました。

派遣先は、港街のウラジオストクにある、極東連邦大学。毎年プーチン大統領と安倍首相が東方経済フォーラムを開催する場所でもあり、ロシアの中でもレベルの高い大学でした。
規模が大きく、ロシアの紙幣にも印刷されているくらいで、これは頑張らなくては!と身が引き締まったのを覚えています。

 

ロシアでの生活。粘り強いロシアの学生たち

--こうして念願のロシアでの生活が幕を開けたんですね…!ウラジオストクでの生活はどうでしたか?港町となると海鮮も美味しそうなイメージ…

実は大学が、ルースキー島というウラジオストクの半島から連絡橋を渡ったところにあったんです。
基本的には島の中で生活は完結してしまいます。海鮮は蟹が有名で美味しいですよ。

朝は8:30から90分の授業が最大3コマ程度あり、そのほかに授業準備や評価、 講師としての活動以外にも、青年交流活動があったので、ロシアに留学している日本人学生を自分の授業に呼んで日本の授業をしてもらったり、自己研鑽でロシア語を勉強したり…充実した毎日を過ごしていました。
1ヶ月間休みをとって、同時期に渡航していた同期のいる別都市に遊びに行ったりもしましたよ。

 

--毎日忙しく、充実されていたんですね!ロシアへの知見は元々広かったことと思いますが、実際の生活でびっくりしたことや文化のギャップに驚いたことはありましたか?

たくさんありますよ(笑)

まず、ロシアの大学には、敗者復活戦がたくさんあるということ。
進学を諦めるという強い意志がないと、5回くらい再試験の機会が与えられるんです。
試験は大方、口頭試験で、学生がカードを引き、それに書かれたテーマについて日本語で自分の意見を述べるものなのですが、これ複数やればもう回答準備できてしまうんですよね(笑)
諦めず頑張ろうと思う子には、沢山チャンスがある仕組みだと思います。

ほかには、年配の先生への尊敬の眼差し。
私が授業で使用していた教室を次に使う年配の先生が、私に伝言する際に教室に入ってきたら、途端に生徒が全員起立したんです。
私が教室に入って行っても、みんな携帯いじってるのに(笑)
年上の方に向けた尊敬の念は強いなと思います。

あとはメンタリティですね。とにかく、みんな最後の粘りがすごい。
時間と達成度のグラフがあるとすれば、右肩上がりにゆるやかに正比例するであろう日本人に比べて、ロシア人は、最後だけぐっと上がるんですよ。テストも基本的に一夜漬け。(笑)
私は競馬が好きなので、ある時、授業で追い込み馬が、最後の最後だけ頑張って、他の馬に僅差で負けたレースを動画で見せたんですよ。
能力はあるのに、「最後だけ頑張るのでは勿体無い」ということを伝えたかったのですが、「人生そういうこともあるよ」って学生に言われ、終了しました(笑)
ただ、ロシアの情勢を見ていると、事前に準備していても何があるかわからない、と考えてしまう理由もわかる気がしますが。

 

--一夜漬けで優秀な成績が取れてしまうということは優秀な学生さんたちだったんですね!谷本さんが日本語教師派遣でロシアに行ってよかったな、と思った瞬間を教えてください。

特に記憶に残っているのは、教え子のロシア人学生と日本人学生との青年交流のことです。
ロシア人学生の中には、日本に留学し実践を積み自信をつけている子もいれば、留学経験がなく、実際の会話で自信をなくす子も沢山いたんです。
日本人学生に協力してもらい、流暢に話せなくても、伝わることの喜びを感じてもらえるような機会を用意していました。
文法が多少間違っていても、相手に伝わればいいと思ったんです。
この交流を通して、伝わる喜びを感じてもらい、スピーチ大会に出てみたいという子も出てきたり。
学生の自信の醸成につながった良い経験でした。

そのほかには、ロシア人の優しさにもたくさん触れましたね。
自動販売機にお金を入れて、ボタンを押しても飲み物が出てこないことがあったのですが、なんと、近くで見ていた学生が集まってきて、自動販売機をかついで、出してくれたんです(笑)

また、ロシア人男性はガタイがよく、私は日本人の中でも華奢な背格好なので、よく女性に間違えられてバスの席を譲ってもらったりしてましたよ(笑)

ロシアでは国際婦人デーに、女性にお花をプレゼントする習慣があるので、花屋に行って買おうとしたら、「何であなたが買うの?あなたはもらう側でしょ」と言われたり(笑)
あまりにも間違えられるので、もう女性ってことでいいやって、バレないようにしてました。

 

日露青年交流センターの仕事を通じて、日ロの架け橋を作る

--日本人学生との交流も、学生にとって貴重な経験なったんだろうなと思います。それにしてもエピソードが面白すぎますね(笑) そんな楽しい派遣期間が終了した現在は、どのような活動をされているんですか?

2018年6月に帰国し、7月から日露青年交流センターで広報や、青年交流プログラムの企画をしています。
具体的には、一般の方向けの事業紹介、交流プログラムの参加者募集や、ロシアと日本間の交流活動の提案の募集などです。

他にも、ロシア人の学生を連れて江ノ島の有名スポットをめぐりながら日本人との交流をするなど、添乗員のような仕事もしていますよ。

 

--日露青年交流センターでの活動は幅広く、アテンドまで行っているんですね!今後、谷本さんがチャレンジしてみたいことはありますか?

次世代を担う若者にスポットライトを当てて、10年、20年先に、もっといいロシアと日本の関係を作ることに貢献したいなと思います。
ロシアや日本にとって、お互いの国がもっと身近になって欲しいという想いを胸に、サブカルチャーの交流や写真家交流など、様々なイベントを仕掛けていこうと考えています。

 

--日本語教師に戻りたいという想いはありますか?

不思議と思わないんですよ。
プログラムを通して若者の成長を見ていることが好きですし、今の仕事を通して、ロシアと日本の架け橋を作りたいと強く思っています。

僕の両親は高齢出産で自分を産んでいるので、小さいころから大人になる前に、親が亡くなるかもしれないと思って過ごしてきたんです。
なので、何を生き甲斐にしたら良いのか考えたときに、自分より下の世代に期待をかける。
これは自分が何歳になってもできることだなと思っています。

 

--谷本さんのご自身の幸せと結びついている、素敵な仕事ですね。ちなみに青年の定義は13歳以上40歳以下とのこと。私もぜひチャレンジしてみたいです!!今日は素敵なお話を、ありがとうございました。

 

 

谷本達也さんが働かれている日露青年交流センターの情報についてはこちらから

名称:日露青年交流センター
住所:東京都港区西新橋一丁目17-14 西新橋エクセルアネックス 7F
TEL:03-3509-6001
HP:https://www.jrex.or.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/JapanRussiaYouthExchangeCenter/

 

 

 

(インタビュアー・文/石井彩)

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