日本・ロシアに縁をもつ「人」にスポットを当て、その「人」を紹介、そして「人」を通じて、ロシアの魅力や日本とロシアの関わりなどを、車でドライブするような冒険心を持って発信していく「日ロドライブ」。
第17回のゲストはバレエダンサー・中村祐輔さんです。
ロシアで最も権威あるバレエ学校の一つ、ボリショイ・バレエアカデミーを卒業後、ロシア国立アストラハン歌劇場バレエ団に入団、そこで唯一の日本人・男性バレエダンサーとして活躍されていた中村さん。
ロシアのバレエといえば世界最高峰。
そんなバレエの国・ロシアで長年生活された中村さんに、バレエについてはもちろん、ロシアでの生活やその魅力についてたくさんお聞きしてきました。
バレエとの出会い
--今日はよろしくお願いします!まず最初に、中村さんがバレエを始めたきっかけなどについてお聞きしてもいいですか?
こちらこそよろしくお願いします。
バレエを始めたのは、実家のある長野県で母がバレエ教室の講師をしていたことがきっかけです。
5歳頃から、体を動かすことの延長線上といった形で、バレエをしていました。
子どもの頃から母に連れられて、様々なバレエ公演も観に行っていましたね。
--初めは体操のようなものとして、バレエをしていたんですね!いつ頃から、本格的にバレエにのめり込んでいったんでしょうか?
僕の場合は結構遅くて、本格的にバレエにハマったのは中学1年生のころですね。それまでは、ときどき体を動かす程度で、健康のためにやっていたようなものでした。
きっかけは、清里フィールドバレエ(※)で、とある男性バレエダンサーが踊っているのを観て、その方が講師をしている東京のバレエ教室に通うようになったことです。
(※山梨県清里にあり、長期間にわたって、連続で上演されている野外バレエ公演)
八王子にあるバレエ教室なんですが、週末に、長野県から通ってレッスンを受けていました。
母が講師をしている教室の生徒は女の子しかいなかったんですが、その教室にはボーイズクラスもあったんですよ。
教室には小学校5年生から高校を卒業するまで通いましたね。
--長野県から東京まで何年間も通ったんですか?!すごいです…!やっぱりバレエはずっと続けてこられたんですね!
そうですね。続けていましたが、結構気持ちに波はありました。
他のスポーツをやってみたい気持ちもありましたし、バレエをやっていると友達付き合いが悪くなってしまうのも嫌だったんです。
そうしたこともあって、バレエから気持ちが遠ざかった時期もありましたが、子どもの頃からずっと続けてきたバレエを辞めるのは、「ちょっとあれかな」という気がして、それだけの気持ちで続けてきましたね(笑)
ただ、バレエを続けてきたことで得られた「出会い」は自分の中で大きかったです。
一緒に八王子の教室に通っていた男子生徒とは意気投合して、今でも友人同士ですし。
ロシア留学、ロシア国立バレエ団への入団
--長く続けたことで得られた出会いはかけがえないものですよね。中村さんは高校卒業後にロシアに留学されたとのことなんですが、きっかけは何だったんでしょうか?
ボリショイ・バレエアカデミーで、オーディションを含む短期留学のようなプログラムがあって、それに参加したことがロシア留学のきっかけですね。
その短期留学(オーディション)の結果、アカデミーから入学を認めてもらえたので、留学することになったんです。
オーディションは、他の生徒と寮で寝食を共にしながら、一通りアカデミーのレッスンを受け、その中で様々な審査を受けるというものでした。
男の子は3人、女の子は10人以上参加していましたね。
--ロシアのバレエという、歴史もあって、指導の厳しそうな分野で、高校卒業後に単身で留学されたのはすごいですね。
留学の時期は、中学卒業後という選択肢もあったんですが、自分の中で、「高校は卒業したいな」という思いがあったので、高校卒業後になったんです。
高校時代は、日本の大学に進学することを考えたこともあったんですが、「海外に行って自分の知らない物をこの目で見たい」という思いが強かったので、結局留学という選択肢を選びましたね。
特にロシアは、自分にとって、まるっきり未知の国で、ロシア語も挨拶程度しか知らないくらいだったので。
--そのボリショイ・バレエアカデミーを卒業後、ロシア国立アストラハン歌劇場バレエ団に入団することになったきっかけはなんだったんでしょうか?
アカデミーでカリキュラムを学びながら、卒業後の進路を考えて、色々とオーディション活動をしていた時期があったんです。その時期に、友人がアストラハン歌劇場バレエ団で働いていることを知ったのがきっかけですね。
当時、ロシア以外の国のオーディションもチェックしていたんですが、友人がそのバレエ団で働いているのを知って、「自分は今ロシアで生活しているし、ロシアで仕事ができるなら、それもいいな」と思ったんです。
そうして受けた、アストラハン歌劇場バレエ団のオーディションに合格することができたので、ダンサーとして働くことになりました。
--友人の方が働いていることを知らなかったら、もしかすると働いていなかった可能性もあったわけですね!
そうですね。バレエ団は世界中にたくさんありますし、友人が働いていることを知らなければ、もしかしたらアストラハン歌劇場バレエ団は選択肢になかったかもしれません。
ただ、初めて、実際にアストラハン歌劇場バレエ団の劇場を見てたとき、その大きさと立派さには圧倒されましたね。
僕が就職する1年前に、新劇場への建て替えがあったみたいで、本当に立派な劇場だったんです。
--お写真拝見したんですけど、まさに荘厳といった感じですね!?実際にロシアのバレエ団で働かれるというのは、留学とはまた違った部分もあったかと思うんですが、印象に残っている出来事などはありますか?
印象的だったのは、働き始めた当初から、バレエ団の人たち全員が、とてもフレンドリーだったことですね。
団内では、ベテランも新人も上下関係が全くなくて、常に全員で協力して一つの作品を作り上げようとする雰囲気があったんです。
この、「全員で協力する」という雰囲気は日本にいた頃は感じられなかったものだったので、すごくいいなと思いました。もちろん周囲の人に恵まれたこともあると思いますが。
そうしたこともあって、人間関係の悩みは特になかったです。
また、新しい公演が無事終了したなどといった祝い事がある際に、ダンサーのみんなで、劇場でお酒を飲むんですが、これも新鮮でした。
ロシアでは、誰かが誕生日のときは、その誕生日の人が他の人をおもてなしするんですが、そんなときにも劇場でお酒を飲むことがありましたね。
誕生日の近い3人がいたんですが、彼らが「この日に飲もう」と自分たちで日程を決めてから、当日も自分たちで買い出しに行ったりして(笑)とても面白くて楽しかったです。
--いいですね〜。めちゃくちゃ楽しそうです(笑)逆に、大変だったことはありますか??
これは海外公演ですね。ツアーという括りで、年に2回くらいのスパンで約1ヶ月間の海外公演を行っていたんですが、これが大変でした。
移動は基本バスなんですが、深夜3時ころに宿泊先に帰ってきて、少し仮眠をとってから、朝早くに出発、朝一でリハーサルして、夜に本番、夕飯は帰りのバスの中で食べるハンバーガーといった感じです(笑)
そんな中で、多少熱が出たり、体調が悪くても、公演には出なければならないので、そういう意味でもとてもハードでしたね。
--身体をほとんど休めることなく、公演を行っていくんですね…!想像を絶する過酷さの気がします…。しかもバス移動。
海外公演以外でも、バス移動は結構多かったんですよ。
地方公演でソチに行った時は、24時間以上かけてバス移動しました(笑)
その時はさすがに「なんでそこ飛行機じゃないの」って思いましたね(笑)
正直バス移動はしんどいです。
--24時間以上のバス移動は過酷すぎますね…(笑)そのようにして、20年以上バレエを続けてきた中村さんが思うバレエの魅力は何でしょうか?
僕が感じるバレエの魅力は舞台が終わった後の達成感ですね。
舞台が終わった後、舞台上から自分の前に広がるお客さんが見えるわけです。
そして自分たちにはスポットライトが当たっていて、お客さんはみんな拍手をしている。
このときの感動っていうのは何ものにも代え難くて、やっぱり舞台が終わった後は、心の底から「やってよかったな」、「気持ちいいな」と思います。
これは、体を動かす延長線上としてバレエをしていた頃には味わえない感覚でしたね。
中村さんの感じるロシアの魅力
--きっとみんなで何かを作り上げることからくる感動もあるんでしょうね。素敵です!ここからロシアの話を中心にお聞きしていこうと思うんですが、まずは中村さんが感じるロシアの魅力について教えていただければと思います!
ロシアでは一般的に、国民が郊外の別荘・ダーチャ(※)を持つ文化がありますよね?
(※ロシア・旧ソ連圏で一般的な菜園付きセカンドハウス)
そのダーチャのある敷地内では、個人が野菜や果物を栽培しているんです。そういうところで採れた野菜や果物を食べさせてもらう機会があったんですけど、これが本当においしくて。
また、各自、当日の朝の採れたての野菜や卵、乳製品などを持ち寄って、それらを朝から売り出している市場が各地域にあるんですよ。
なので、食材を求めてスーパーに行く必要がなくて、その市場に行けば、なんでも揃うし、いつでも新鮮な食材が手に入ります。そういうコミュニティが地域ごとに形成されているのはすごくいいなと思いますね。
休日に知人からダーチャに招かれて、採れたての食材で、もてなしてもらったこともありました。
そのときは、「これこそ最高の人生の楽しみ方だ!」と思いましたね(笑)
--いいですね〜!新鮮な食材がいつでも身近にある生活。憧れます!
いいですよね!
ほかにも、ロシアの文化の中で、魅力に感じているのは、街の中にある教会を訪れることで、その街の歴史などを一通り知れることです。
ロシアでは、それぞれの街に大きな教会があって、その中に街の歴史などを学べる博物館が、いくつか入っているんですよ。教会に行けば、その街のことがなんでもわかるんです。
教会は、モスクワなら「赤の広場」、といったように立地も良くて、街の中心部、観光スポットに近いところにあるので、観光をしながら、街のことも学べますよ。
ロシアでの生活
--観光と学びが一緒にできるのはありがたいですよね!そういえば、先ほど「ロシアに行く前は挨拶程度しかロシア語がわからなかった」と仰っていましたが、語学はどのようにして身につけられたんでしょうか?バレエとの両立は難しかったと思うんですが…
そうですね。日本語はもちろん、英語が通じるような環境でもなかったので、生活していく中で必要最低限のロシア語を身につける必要はありました。
そんな時に、一番助けになったのは、周りで生活しているロシア人の親友たちでしたね。
僕の周りには、ロシアで生活している日本人がいなかったので。
アカデミー生活で一番最初に、簡単なロシア語の文法などは教えてもらったんですけど、それよりも劇場で働きながら、生活していく中で、耳で覚えていく要素の方が強かったです。
ロシア語は難しいと感じると思うんですが、単語がわかれば、なんとか伝わるので、ジェスチャーを用いながら、コミュニケーションをとるみたいな。そんなところから始めました。
そうしていると周りの人たちも、「ここはこう言うんだよ」といったように教えてくれますしね。
生活に支障がないレベルのロシア語を身につけることができたと感じたのは、2年くらい生活してからです。
相手の言うことがなんとなく理解できるかなって感じですね。
ただ、やっぱり、自分からなにかを伝えるのは難しかったです。
しっかり語学だけを専門に勉強していたら、もっと習得が早かったかもしれないんですけど、僕の場合はバレエ(仕事)優先で、集中して語学を学ぶことはなかったので。
--バレエに集中しながら、生活の中で語学を身につけていかれたんですね!語学センスとコミュニケーション力に脱帽です…!逆にロシアでの生活で苦労されたことはありますか(笑)?
日本に比べるとインフラがあまり発達していないと感じたので、そこは多少苦労しましたね。
例えば、寒くなってくる10月頃に、家で暖かいお湯がしばらく出なくなるんです。
ロシアでは暖房は国が供給していて、各建物に張り巡らされた管にお湯が流れることで、建物内の部屋が暖かくなります。
それが10月ころに供給されるんですが、普及するまでの2週間くらいの間、暖かいお湯が使えないんです。
なので、気温10度くらいの寒い時期に、真水で身体を洗わなければならなくて(笑)
個別にボイラーの付いている家もあったんですが、上手く作動しなかったという事情もありました。
やかんでお湯を沸かして、バケツで水と混ぜて、それをコップでかけながら、体を洗うみたいなこともしてましたね(笑)
今後のビジョン
--それはすごいですね!?めっちゃ寒そうです…(笑)最後の質問になるんですが、この8月に日本に帰国されて、中村さんが今後やっていきたい活動などについて教えていただけると嬉しいです!
様々なきっかけが重なって、僕はロシアに行くことができました。
自分の中で、この経験は何ものにも代え難いもので、すごい経験ができたと思っています。
この経験を通じて、物事の考え方がいい意味で変化したり、色々と視野が広がったという思いも強いです。
僕のように他の国に行って、色々な分野について学びたいとか、何かを自分の目で見てみたいという人は一定数、必ずいると思います。
今後は、そういう人たちの手助けになるような、あるいはそういう人たちを繋ぐ架け橋になるような活動をしていきたいですね。
現代社会は、ネット社会でもあるので、インターネットからの情報発信も掛け合わせながら、活動していくことができればと考えています。
--架け橋になる活動、めっちゃいいと思います!中村さんのこれからに目が離せません!今日は本当にありがとうございました!
中村祐輔さんのお母様・中村ユキさんが主宰されているバレエ教室の情報はこちらから
(※現在(2020年10月時点)中村祐輔さんも教師を務められています)
↓
名称:ユキバレエスタジオ
住所:長野県諏訪市赤羽根4015-6
TEL:090-1702-3393
HP:http://yukiballet.net
(インタビュアー/山地ひであき)
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