2020.04.06

高知市内で英会話教室のほかロシア語教室、通訳などで活躍されている藤本ヴェロニカさんインタビュー
「県知事の通訳をさせてもらったのは印象に残っている仕事の一つです」

(写真:藤本ヴェロニカさん。撮影は「ハッピースマイル英会話教室」内にて)

日本・ロシアに縁をもつ「人」にスポットを当て、その「人」を紹介、そして「人」を通じて、ロシアの魅力や日本とロシアの関わりなどを、車でドライブするような冒険心を持って発信していく「日ロドライブ」。

第11回は高知県高知市内で「ハッピースマイル英会話教室」を運営する中で、英語教室やロシア語教室などを主宰されているほか、通訳などとしても活躍されている藤本ヴェロニカさんにお話を伺ってきました。

藤本ヴェロニカさんはロシア・イルクーツクの出身で、イルクーツク教育大学で日本語と英語を専攻されていたほか、高知大学大学院教育学部言語学科も卒業されている方で、現在は英語教育を中心に行われており、過去には県知事の通訳を務められたこともあるんだとか。

今回は、そんな藤本ヴェロニカさんに、ロシアの魅力や通訳としてのご経験を通じたエピソードなど様々なことを語っていただきました。



--本日はよろしくお願いします!では、さっそくなんですが、藤本さんのご出身など、簡単なプロフィールをお伺いさせてください!

はい、私の出身はロシアのイルクーツク市というところです。
ロシアの中でもシベリア地域にある町ですね。
シベリアの真珠とも呼ばれている有名な観光スポット、バイカル湖から車で約1時間ほどのところに家がありました。


--車で1時間だと、ご出身とバイカル湖はすごく近くに感じますね!藤本さんは日本に来るまでは、ずっとイルクーツクにお住まいだったんですか?

いえ、生まれはイルクーツクなんですが、父親の仕事の関係で、イルクーツクからロシアの中でも、北の方に位置する町に引っ越したんです。
大学生になる年になって、イルクーツク教育大学に進学して、イルクーツク市に戻ってくるまでは、ずっとその町に住んでいましたね。
大学に進学した当時は祖母がイルクーツクに住んでいたこともあって、生活には困りませんでした。



--藤本さんは大学時代に日本語を専攻されていたと「ハッピースマイル英会話教室」のHPで拝見したんですが、大学入学以前から日本に対して興味があったんですか?

元々、大学では語学をしっかりと学びたいとは考えていたんですが、大学に入学する以前は、日本や日本語に対する関心や思いといったものは、全くと言っていいほどありませんでした(笑)
ただ、私がイルクーツク教育大学への進学を検討し始めたのと同時期に大学に、東洋学部という新しい学部ができたんです。
そこでは、英語が必須科目で、韓国語や中国語、それに日本語も勉強できるという話だったので、それならばチャレンジしてみようかなと思い、軽い気持ちで東洋学部を選択しました。


--大学での目標はやはり語学を話せるようになることだったんでしょうか?

そうですね、私の場合は語学を学ぶことは目的の一つではあったんですが、語学だけでなく教育にも関心があったので、語学を生かして、教育の現場に携わることが大きな目標でした。
なので、大学では2カ国語を習得して、教員免許を取得し、それらを仕事に活かせるようにすることが、当初の目標でしたね。


--韓国語や中国語も選択肢にあった中で、日本語を選択した理由はなんだったんでしょうか?

なんとなくですね(笑)
なんとなく中国語や韓国語は勉強したくないように感じて、消去法で日本語を選んだんです(笑)
当時はあまり日本についての情報もありませんでしたし、日本語については漢字やひらがなを組み合わせた独特の言語でおもしろそうだなぁ〜っていうくらいの印象しかありませんでした。
ただ、なんとなくとはいえ、自分で選択した言語でもあったので、日本語の勉強自体をそんなに難しいとか大変とかは感じなかったですね。


--日本語を選択したのにはそういう経緯があったんですね〜!藤本さんは大学を卒業した後に、ロシアから日本にいらっしゃったと思うんですが、そのきっかけはなんだったんでしょう?

私がロシアから日本に来て、定住するきっかけになったのは結婚ですね。
日本で知り合った日本人の夫と結婚したんです。大学を卒業してから、しばらくの間、通訳の仕事をしたり、ロシアの大学でロシア人の学生たちに日本語を教えたりしていたんですが、そのような仕事をする中で、ロシアから日本に行く機会もたくさんあって、そんな時に夫とも知り合いました。
夫との結婚をきっかけに、ロシアの大学での講師の仕事と、通訳の仕事を辞めて、高知県にやってきたんですが、このとき初めて四国に来たんですよ



--旦那さんとの結婚がきっかけで、四国に来られたんですね!初めての四国はいかがでしたか?

四国での生活自体は楽しかったんですが、知り合いがいないこともあって、やっぱり寂しさもありました。
結婚する以前に、1年間だけ富山県の大学に留学していたこともあって、富山県内には友人がたくさんいたほか、勤めていたロシアの大学が石川県の大学と交流していて、当時はその大学の先生方や学生さんがロシアに交流しに来ていたので、石川県にも友人や知り合いがいたんです。
そんな風に、日本の中でも富山県や石川県の辺りだと友人や知り合いがたくさんいたんですが、四国は夫しか知り合いがいなかったので、最初は寂しかったんです。


--知り合いのいない土地での生活は大変ですよね…。高知県に来られてからは、すぐに「ハッピースマイル英会話教室」を始められたんですか?

いえ、ロシアから高知県に来てからは、しばらくの間仕事はやっていなかったんですよ。
長い間専業主婦をしていました。その間に高知大学大学院言語学科を卒業したり、子どもが生まれたりと色々なことがありましたね。
大学院を卒業したのは、上の子が生まれるギリギリ前だったので、卒業しても子育ての関係で、大学院で学んだことを、すぐに仕事に活かす機会はありませんでした。
上の子が生まれた2年後には、双子が生まれたこともあって、子どもが幼いときは子育てにかかりっきりで、仕事をする暇はなかったです。


--慌しい日々だったんですね!そんな中で、藤本さんが高知県でお仕事を始められたきっかけは何だったんでしょうか?

私が高知県で仕事を始めたのは、大学院時代の友人が高知大学附属小学校の講師の仕事を紹介してくれたことがきっかけだったんです。
当時は、小学校で英語の先生が不足してたんです。その頃には下の双子も小学校一年生くらいで、子育てもひと段落していたので、仕事を始めることができました。
小学校の講師をし始めてから、1年後にこの「ハッピースマイル英会話教室」を始めて、裁判所や警察の通訳の免許なども取得しました。



--専業主婦の生活かは一気に状況が変わったんですね。ここから少し通訳のお仕事についてもお聞きしたいんですが、通訳のお仕事の中で特に印象に残ったことはありますか?

そうですね〜、私がロシアで通訳として働いていた当時、イルクーツクと石川県は交流がすごく活発だったので、様々な文化交流イベントや経済交流などを通じて、相互交流を行っていたんです。
その中で、当時の石川県知事がイルクーツクにいらっしゃった時に、通訳をさせてもらったことがあって、そのことが一番印象に残っています。
もちろん他の仕事で、印象に残っているものもたくさんありますが、その仕事は一週間くらいあって、私も知事の方達と一緒にバイカル湖に行ったり、テレビの取材を受けたり、イルクーツクを周ったりしたことは印象的でしたね。


--ロシアに関わるような仕事な交流で、ほかにも心に残っているようなことはありますか?

そうですね、やっぱり、ロシア語を教えている生徒さんが仕事であったり、旅行であったりで、ロシアに行ったときに「ロシア語を使うことができた」とか「レッスンで勉強した言い回しがロシア人に通じた」とか、そういった話を聞くと、教えることに対するやりがいを感じますね。


--最後になってしまうんですが、ぜひ、何かPRなどしていただけると嬉しいです!

私が運営している「ハッピースマイル英会話教室」のホームページには、ロシア語教室の情報も掲載しています。
教室でメインで教えているのが、英語なこともあって、英語を習いにくる生徒さんが多いので、ロシア語を習いに来る生徒さんは少ないんですが、今後ロシア語に興味を持つ人が増えて、ロシア語教室の方にも生徒さんが増えると嬉しいですね。



--本日はありがとうございました!貴重なお話をたくさん聞けて嬉しかったですし、とても楽しかったです!今後ロシア語を勉強する人が増えていくといいですよね!






藤本ヴェロニカさんが運営する「ハッピースマイル英会話教室」の情報はこちら↓
名称:ハッピースマイル英会話教室
住所:高知県高知市一ツ橋町1-8-2
電話番号:088-826-1101(電話受付時間:10時〜20時)
HP:www.happysmileschool.com

(写真:「ハッピースマイル英会話教室」の外観)






(インタビュアー/山地ひであき)

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