2021.03.31

【コラム】ロシア語講師の教える
『ロシアに関係するお仕事紹介』第11回『北方領土を訪問した経験②~色丹島訪問~』

Columnist

福田知代

東京外国語大学を卒業後、フリーランスとして、ロシア語講師、通訳、翻訳家、YouTuberなど多彩な顔を持ち、今まで経験したロシア関連の仕事は10種類以上。都内で、誰でも気軽に参加できるロシア語教室「セラピオンロシア語学習会」を主宰している。

東京都内でロシア語講師や通訳・翻訳などのほか、YouTuberとしても活動されている福田知代さん『ロシアに関係するお仕事紹介』第11回です。

 

前回までの連載記事はこちらから
(以下、福田さんのコラムです)
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「日ロドライブ」の読者のみなさん、こんにちは。福田知代です。

連載も、今回で十一回目となりました。
このシリーズでは、ロシア語を活かすことのできるお仕事のうち、わたしがフリーランスとしてこれまで経験してきた仕事や立場について、順番にお話ししています。

これまでに、①翻訳のお仕事②映像翻訳のお仕事、③ロシア語を教えるお仕事④高校でのさまざまな国際交流プログラム⑤辞書編纂のお仕事⑥通訳のお仕事⑦大学でのお仕事⑧「コロナ禍」におけるロシア語のお仕事の状況(わたしの場合)⑨YouTubeへの動画投稿⑩北方領土へのビザなし交流についてお話ししてきました。
ご興味のある方は、どうぞそちらもご覧になってみてくださいね。

 

目次

色丹島訪問について

(写真:交流船「えとぴりか」)

 

今回は、色丹島訪問のときの様子について、島内の写真を交えながらお話をしたいと思います。

わたしは2013年と2014年に色丹島を訪問しました。
少し前のことなので、現在は島内の様子が多少変わっているかもしれません。

訪問団員が色丹島に向かう際には、根室港を出港後、まずは国後島に寄って「入域手続き」を行います。
係官が、「Дружба(友好)号」に乗って、我々が乗っている交流船「えとぴりか」までやって来ます。

(写真:「友好」号)

 

色丹島に上陸するのは、根室港を出た翌日の朝です。
島の時計は、訪問団の時計よりも2時間進んでいるので、団員は朝5時に「朝食の準備ができました!!!!」という、乗組員さんの元気いっぱいの船内放送で起こされます。
乗組員さんたちは、どんなに船が揺れても、きちんと時間通りに40~70人分のおいしい食事を準備してくださり、船内の清掃など、訪問団員が慣れない船での生活を安心して送れるように、とても細やかなサポートをしてくださいます。
船内で朝食を取ったのち、7時半過ぎに上陸。
港では、島民が「パンと塩」で出迎えてくれます。

(写真:「パンと塩」によるお出迎え)

 

訪問団員は島民の車に分乗し、「Утро Родины(祖国の朝)文化会館」での歓迎式に参加します。2014年は、訪問団側の歌のプレゼントとして、わたしは舞台でギターを弾き、団員全員で「栄光の架橋」と「翼をください」を歌いました。

 

(写真:「歓迎式」の様子)

(写真:ギターを演奏する様子)

島内視察

歓迎式のあとは、島内の視察です。
年によって視察先は多少変わりますが、初等中等教育や図書館、発電所、保育園、教会などを見て回ります。
島ではロシアの学校制度が導入されていますので、「学校」では、1年生から11年生が一つの建物で一緒に学んでいます。
学校の講堂には「友情」と書かれた書が額に入れて飾られており、授業の中で、和歌などの日本文化についても学んでいるようでした。
校内の図書室には、日本文化に関する書籍も置かれていました。

(写真:小中高の校舎)

(写真:体育館)

(写真:校内の図書室。日本文化の書籍も並ぶ)

(写真:「友情」の書)

(写真:校内に掲示されていた和歌)

 

ちなみに、ロシアの教育政策により、すべての学校のすべての教室に電子黒板を設置することになっているのですが、色丹島の学校にも、電子黒板がきちんと設置されていました(日本の学校でも、すべての教室に電子黒板が設置されているようなところは、あまりないのではないでしょうか)。

(写真:電子黒板)

 

島内には、島民が自由に利用することのできる図書館もあります。
以前、根室沖で大きな地震があった際、色丹島は津波の被害を受け、図書館も書籍を失うなどの大きな損害が出たそうでしたが、日本人からの寄付により、再建されたとのことでした。
また、かつては島内でたびたび停電が発生していたそうですが、日本企業の支援によって発電所が建設されてからは、そのようなことはなくなったそうです。

(写真:島内の図書館)

(写真:図書館の中の様子)

 

このように、色丹島はさまざまな面で日本人からのサポートを受けているため、島民は日本人に対して非常によいイメージを持っていると言われています。

一方、国後島択捉島は、ロシア政府の政策により、島内の整備に特別の予算が割かれています。
空港が整備されたりなど、島民がモスクワからの恩恵を感じやすいことから、色丹島の島民と比べると、日本人に対しては比較的淡泊であるとも言われています。

島内の高台には、ロシア正教の教会もあります。
国後島に比べると簡素な作りですが、島民の祈りの場として重要な役割を果たしています。

(写真:ロシア正教の教会)

 

北方四島交流訪問事業は、夏の間に行われます。
8月といっても、かなり肌寒い日もあり、上着を持って行かないと体が冷えてしまうこともあります(わたしは初めての訪問で上着を持って行かず、優しい団員がフリースを貸してくれて、どうにか助かりました……)。

一方、四島の青少年を東京などで受け入れる北方四島交流受入事業は、たいてい、四島の学校が夏休みに入る、5月の末に行われます。
つまり、5月の受け入れで知り合った子たちと、2~3か月後に島で再会することができるのです。
視察のほか、現地の青少年との交流行事も、訪問団員にとっては非常に重要な使命です。
訪問団員は、空手や楽器などの特技を披露したり、出身地の踊りを披露したり、歌を歌ったり。島民も、日本語で歌を歌ったり、楽器を演奏したり、ダンスを披露してくれたりなど、とても楽しい時間が流れます。

年によっては、日本文化紹介がメインの場合もあり、書道や茶道、折り紙などを島民に体験してもらったりします。

(写真:日本文化紹介)

 

中高生が中心の訪問団のときには、スポーツ交流も行われました。
ロシア人と日本人の混合チームで、バレーボールや「ピオネールボール」などをしましたが、審判をしてくれた島民のおじちゃんは、対戦結果がどうであれ、「友情が勝ちました!」との判定で、みんなすっかり打ち解けて仲良く遊んでいたのが印象的でした。

(写真:スポーツ交流の様子)

意見交換会

交流行事のほか、意見交換会も必ずスケジュールに組み込まれています。
双方の参加者層によって、意見交換会の雰囲気やテーマはさまざまです。
青少年が中心の場合は、お互いの普段の生活に関して(「趣味はなんですか」「学校が終わったあとは何をしていますか」「最近流行っていることはなんですか」など)や、将来の夢に関する質問を、みんなで車座になって、通訳さんを介して話し合います。大人が中心の場合は、双方がいくつかのグループに分かれて、「島での暮らしに求めるもの」「どのようなリゾート施設を作ったらよいと思うか」などなど、かなり実質的なテーマで質問をし合ったり、案を出し合ったりして、あとで、「うちのグループではこんな話が出ました」というように全体で発表し、内容をシェアするといった感じになります。

(写真:意見交換会の様子)

交流船「えとぴりか」での寝泊まり

色丹島滞在中は、夕方の暗くならない時間帯に港に戻り、交流船「えとぴりか」内で毎晩寝泊まりします。
客室は、二段ベッドが2つ置いてある四人部屋がメインで、このほかに、大人数で雑魚寝できる広い部屋もあります。
「えとぴりか」内にはお風呂やランドリールームもあり、生活にはまったく困りません。
朝食と夕食は、乗組員さんたちが毎日美味しいものを作ってくださって、訪問団員全員を収容できる広い食堂で食事をします。
食堂の造りも「船ならでは」で、大きな波でどんなに船が揺れても大丈夫なように、椅子は床に固定してあります。
ビニールのテーブルクロスが滑り止めの役割を果たしていて、テーブルの縁は1cmくらい高くなっており、食器が滑り落ちて大惨事になることのないような造りになっています。

夜に「えとぴりか」に戻ったあとは、勉強会や翌日の打ち合わせがあり、それが済むと自由時間となります。
訪問団は、さまざまな地域の、年齢層や職業の異なる多種多様な人たちから構成されています。
住職さんや、プロレスラーさん、経営者さん、政治家の秘書さんがご一緒のこともありました。
議員さんや関係省庁の官僚、報道関係者の方もご一緒なので、生徒たちも、普段なかなかお話する機会のない方々と、気軽にお話をすることができるのです。

(写真:「えとぴりか」内の食堂)

日本人墓地への墓参

翌日も朝から予定が続きます。
色丹島内には、稲茂尻(いねもしり)というとエリアと斜古丹(しゃこたん)というエリアに、それぞれ日本人墓地があります。

日本人墓地への墓参は、訪問団の大事な使命のうちの一つで、必ず日程に組み込まれています。
写真をご覧いただくと、一番上の墓石がないお墓が多いのが分かると思います。
元島民さん方が島を追われたおよそ75年前、入れ違いで北方四島に入植してきたソ連人たちは、これを墓石であるとは知らず、家の土台などに使ってしまったのだそうです。
現在は、島民たちが雑草を刈ったりなどして、日本人墓地をきれいに保ってくれています。

 

島民のお宅に招かれるホームビジット

北方四島交流訪問事業のもう一つのメインのスケジュールは、島民のお宅にお招きを受ける「ホームビジット」です。

訪問団員が数名ずつのグループに分かれ、島民のお宅を訪問し、昼食をご馳走になったり、一緒に遊んだりなどし、友好を深めます。
ロシア人の気質の一つに、гостеприимство「おもてなし好き」というものがあり、文字通りに、食べきれないくらいの量の食事を用意してくれ、「どうぞ、どうぞ!」と勧めてくれます。
お宅によっては、オリジナルのゲームを考えてくれてあったり、双方で記念のアート作品を制作したり、外で一緒にスポーツをしたりするパターンもあるようです。

訪問団員は、このホームビジットのためにそれぞれお土産を用意してきています。
通訳さんの数はあまり多くないので、グループによっては通訳さんなしで交流することになりますが、たとえ言葉が伝わらなくても、お互いに思い出に残る時間となります。
ちなみに、ホームビジットを受け入れるお宅は、島内で立候補制で募集をしているそうで、毎回多くの立候補があるそうでした。
小さいお子さんがいるお宅も多く、とても賑やかで楽しい時間です。
このあと、街の商店街でお土産を買う時間があります。
買い物をするには、あらかじめルーブルを用意しておく必要があります。

(写真:ホームビジットの様子)

夕食交流会~解団

島で過ごす最後の時間は、夕食交流会です。
つい先ほど、ホームビジットでたらふくお食事をいただいたにも関わらず、またすぐに夕食の時間がやってきます。
島内のレストラン「インペリアル」でお食事をいただきながら、歌やダンス、ゲームで盛り上がり、別れを惜しみます。

(写真:夕食交流会の様子)

 

夕食交流会のあと、訪問団は、島民たちと腕を組んだり、一緒に写真を撮ったりしながら、港まで歩いて、島民のお見送りを受けます。
出会ってほんの数日ですが、やはり別れは寂しく、双方、涙を流して別れを惜しむ様子も見られます。

船に乗り込み、夜のうちに国後島沖に到着。
翌朝、行きと同じく、係官が「Дружба(友好)号」に乗って「えとぴりか」にやって来て「出域手続き」を行い、お昼頃に根室に帰ってきて、解団。
根室では、訪問団員のうち数名が記者会見に臨み、これですべての日程が終了です。

(写真:お見送り)

 

こんな感じで、今回は、色丹島を訪問したときの様子をご紹介しました。
次回は、国後島訪問の様子をご紹介したいと思います。次回もどうぞお楽しみに。

 

 

 

(文/福田知代/ロシア語講師、翻訳家、通訳、YouTuber)

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